教会学校 聖書のおはなし
マルタとマリア」 ルカ10:38-42  2020年3月1日 綿谷 剛兄

【マルタとマリア】
 「さあ、どうぞ、うちへ来て休んでください。」
 イエス様は家に入られると、弟子たちや、村の人や、お家の人たちの前で、お話を始められたんです。マルタは、イエス様やお客さんをもてなすために、大忙しです。履物を整えたり、飲み物や食べ物の準備をしたり、旅で汚れた着物のお洗濯をしたかもしれませんね。あれもしなきゃ、これもしなきゃと忙しく動き回っていて、ふと見ると、マリヤが、イエス様の前に座り込んで、イエス様をじっと見あげながらお話を聞いているんです。
 マルタは、だんだんと腹が立ってきて、「イーッ」となって、きっと、マリヤの袖を引っ張って、「ちょっと来てよ」って言ったと思うんですけれど、マリヤは頑として動かない。それで、とうとう、イエス様に向かって、「主よ私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」って訴えたんです。

【神さまの言葉を聞く】
 ところが、イエス様は、マルタを見つめておっしゃいました。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリヤはその良い方を選びました。それは彼女から取り上げられることはありません。」
 イエス様は、イエス様のお言葉を聞くことが、とても必要なこと、とても大事なことだとおっしゃいました。私たちは、どのようにしたらイエス様のお言葉を聴くことができるでしょうか。
それは、「神様、どうか大切なことを私に教えて下さい」と祈りながら、聖書のみ言葉を読むことです。でも、私たちはいつも忙しくて、心を乱していて、なかなか神様に心を向けることができませんね。だからこそ、静かに神様に心を向けて、神様の言葉に耳をかたむけることが大切ですよ。と教えてくださっています。

【それぞれの大切なこと】
 さて、それでは、マルタのように、イエス様や人をもてなしたり、お世話をすることは、それに比べて必要なこと、大事なことではないのでしょうか?
 その後、兄弟のラザロが病気でなくなった時、イエス様はまたこの家を尋ねられますが、その時も「マルタは、イエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。マリアは家で座っていた。」と書かれてあります。(ヨハネ11:20)
 また、イエス様が十字架にかかられるためにエルサレムに行かれた時も、この家に立ち寄られますが、「人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスと共に食卓に着いていた人たちの中にいた。」と書かれています。(ヨハネ12:2)
 「一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」と書かれています。(ヨハネ12:3) 3人がそれぞれ違う方法で、イエス様にお仕えし、イエス様に愛を示している姿が見られます。
 自分の方法だけが正しくて、あの人のやり方は間違っているって、私たちはすぐに思ってしまいます。自分が一生懸命になればなるほど、心を乱してしまって、人を責めてしまうことがあります。神様が私たちに別々の違った賜物をお与えになり、違った役割を与えておられますから、みんながその違いを認め合って、神様にお仕えしていけたらいいですね。

                 (「成長」の教案を参考にアレンジしています。)