教会学校 聖書のおはなし
カナンの女性」 マタイ15:21-28  2020年7月17日 綿谷 剛兄

【カナンの女性の叫び】
 今日は、「こんなイエス様は嫌だ」「イエス様ってなんて冷たいお方なんだろう」と思ってしまうようなお話をしようと思うので、気をつけて聞いて下さい。
 ガリラヤ地方で人びとを教えたり、病気を癒したりしていたイエス様一行は、ガリラヤよりも、もっと北にあるツロとシドンの地方に行かれました。この地方はユダヤからすると外国の地になります。(地図を確認して下さい)「退かれた」と書かれているので、一旦、ガリラヤでの宣教活動をお休みし、休養しようとされたのかもしれません。

 イエス様は、ある家の中に入り、誰にも会わないようにしておられたようです。しかし、イエス様が来られたという噂は瞬く間に広がったのでしょう。
 カナン人の女性が突然やって来て、
 「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんで下さい。幼い娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいるのです。」と叫んだんです。
 どんな病気だったのか分かりません。しかし、その娘さんにとっても、家族にとっても、つらいつらい病気だったのだと思います。病気による痛み苦しみ、お世話をする大変さ、何より、世間からの冷たい仕打ち。そんな時、イエス様がこの地方に来られたという噂を聞きます。
 「良かった!きっと、何とかしていただける!」
 お母さんは、その娘を家に一人おいてもいいのか、後ろ髪をひかれながら、それでも、いてもたってもいられず、イエス様がおられるところを捜しあてて、やって来たのだと思います。
 女性は、
 「イエス様、どうか、助けて下さい!」と叫びます。
 ところが、イエス様は一言もお答えにならない。家から出て来られない。
 女性は、それでも、何度も何度も、「イエス様!イエス様!どうか、どうか!」と叫び続けます。
 私たちも、いろんな悩みや苦しみのある時に、神様に祈っても、祈っても答えが与えられない。どうして、神様はこの苦しみを分かって下さらないのだろう?どうして願いを聞いて下さらないのだろう?と思うことはありますよね。

【イエスの拒絶】
 弟子たちは、叫び続ける女性と何もしようとされないイエス様にたまりかねて、イエス様に「何とかして下さいよ」と願います。ところが、イエス様は、こう言われたんです。
 「わたしは、イスラエルの苦しんでいる人々を救うために遣わされたんです。外国の人を救うのは私の仕事ではありません」と
 今、苦しんでいるこの女性を目の前にして、何と冷たい言葉だろうと思います。しかし、女性は、イエス様に近づき、ひれ伏して、
 「主よ、私をお助け下さい!」と叫びます。
 すると、イエス様は答えられました。
 「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは、良くないことです。」
 これも、ひどい言葉だと思います。イスラエルの人々を子ども、外国の人をペットのような小犬と言っているのですから。
 パン、つまり神様の救いは、子どもであるイスラエルの人々に与えられるものであって、小犬である外国の人に与えられるのではないと言われたのです。

【女性の信仰】
しかし、女性は、ひるまず、そのイエス様に必死にこう言い返しました。
 「主よ。おっしゃる通りです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」
 イスラエルの人々は、当然、自分たちが神様の救いを受けるにふさわしいと思っていました。
しかし、私たちのうちで、神様に救われるために十分に正しい人、十分に立派な人はいるでしょうか。この女性は、自分がけっして救いを受けるためにふさわしいものではないと思っていました。しかし、救いを与えられるのは、私たちの立派さではなく、神様の愛と憐れみによることを信じました。だから、神様が持っておられる力のうちの、パン屑ほどの力であっても、今の苦しみをお救いになるのに十分だと思ったのです。そして、神様の救いを求め続けたのです。
 イエス様は、女性に答えられました。
 「あなたの信仰は立派です。あなたの信仰の通りになるように。」
 女性が家に帰ると、すでに娘は癒されていました。
 きっと、イエス様は、この女性がこのような信仰を持っていることを最初からご存じだったのだと思います。そして、このような信仰の大切さを弟子たちに教えるために、あえて、このような冷たい対応を取られたのではないかなと思います。
 最後に一つだけお願いします。くれぐれもこの時のイエス様の女性に対する冷たい言葉を真似して、国や民族や住んでいるところや、人のみかけなどで、絶対に人を差別したりしないようにしてくださいね。

                 (「成長」の教案を参考にアレンジしています。)