教会学校 聖書のおはなし
岩の上に建てた家」 マタイ7:24-29  2021年8月22日 綿谷 剛兄

【三匹のこぶた】
 「三匹のこぶた」というお話がありますが、知っていますか?
 ウォルト・ディズニーのアニメになっていますが、絵本で読んだ人もあると思います。

 あるところに、三匹のこぶたがいました。
 1番目のこぶたは怠け者、2番目のこぶたは食いしん坊、そして3番目のこぶたは働き者でした。
 ある日、三匹はお母さんに言われて、それぞれ家を建てることになりました。
 1番目のこぶたはワラで家を作りました。ワラは軽いので一番早く完成しました。
 2番目のこぶたはもう少し丈夫な家を作ろうと、木の枝で家を作り、2番目に完成しました。
 3番目のこぶたは、もっと丈夫な家を作ろうと、レンガの家を作りました。とても労力と時間がかかり3番目に完成しました。

 3つの家が完成した頃、お腹をすかせたオオカミが現れました。ずっと様子を見ていて、こぶたたちを食べようと考えていたのでした。
 オオカミは1番目のこぶたの家に行き、フーッと息を吹いて、ワラの家を吹き飛ばしてしまいました。1番目のこぶたは2番目の仔豚の木の家に隠れます。
 次に、オオカミは2番目の木の家もフーッと息を吹いて、吹き飛ばしてしまいました。
 2匹のこぶたはオオカミから逃げ、3番目のこぶたのレンガの家に逃げ込みます。
 オオカミはレンガの家にフーッと息を吹きましたが、吹き飛びません。体当たりしても壊れません。レンガの家はとても頑丈に作られていたからです。それで3匹とも助かりました。
というお話。

 ウォルト・ディズニーのお話では、3匹とも助かったということになっていますが、元の民間伝承では1番目と2番目のこぶたはオオカミに食べられてしまうことになっているそうです。残酷ですね。
 いずれにせよ、このお話は、怠け者はダメ、勤勉が大事だよという教訓になっています。

 さて、この物語には元ネタがあると言われています。それが今日の聖書の箇所なのですが、お話の内容は少し違ってます。

【二つの土台】
 イエス様は、「山上の説教」の最後に、この譬え話を話されました。
 「わたしのこれらの言葉を聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に譬えることができる」。一方、「わたしの言葉を聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に譬えることができる。」と言われました。
 ここに2種類の人がいるとおっしゃいます。
 3匹のこぶたのお話とは違って、どんな家を建てるかという話ではありません。この譬え話では、「家」は、私たち一人一人の人生を指しているといえます。
 私たちは、ひとりひとり、生まれた場所も、時代も、両親や家族も、その暮らしぶりも違っています。そして、ひとりひとり、いろんな分かれ道を選びながら、違った人生を歩んでいきます。皆が人生という家を建てているということができます。
 しかし、その人生には、見えないけれども重要な部分、つまり土台があります。何を信じているのか、何を大切にしているのか、何を元に人生の分かれ道を選んで人生を生きていくのか。それは、普段の生活の中では、それはあまり見えないかもしれません。
 しかし、思いがけない困難に遭遇したときに、家がどんな土台の上に建てられているかによって、家が倒壊するか持ちこたえるかが決まります。
 年々、異常気象で、日本のあちこちで洪水や土砂災害が起こっていますが、イエス様の頃のイスラエルもそのようなことがあったのでしょう。イスラエルのような乾燥地帯では、一旦大雨が降ると、大洪水が発生することがあります。
 イエス様は言われます。「砂の上に建てた家は、雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまった。しかも、その倒れ方は酷いものだった。」
 砂の上に、基礎を据えずに建てられた家は、水の力によって柱の下の砂が洗われ、倒れ流されてしまいます。
 しかし、「岩の上に建てた家は、雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、岩は倒れなかった。岩の上に土台が据えられていたからだ。」と言われます。
 私は、橋を作る仕事をしています。尾道大橋や、因島大橋、生口橋などを作りました。橋を吊り上げるための高いタワーは、土を掘り、堅い岩盤まで孔をあけ、頑丈な基礎を構築してその上に建設します。そうでないと、自然災害などにより倒れてしまうからです。
 それと同じように、堅い岩の上にしっかりとした基礎を築いて家を建てると、頑丈な家を作ることができます。
 私たちはそれぞれの人生を築いていくのに、何を土台にしていけば良いのか。
 イエス様は、「わたしの言葉を聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に譬えられる。」とおっしゃいます。
 土台は、「イエス様の言葉」「イエス様が語られた教え」であるとおっしゃいます。
 そして、それを行いなさい、実践しなさい、と言われます。
 今日の聖書の箇所の少し前の箇所では、「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」とも言われています。
 イエス様のみ言葉を聞き、その教えを学び、その教えを私たちの生き方の土台とすること、そして、その教えに従って、考えること、決断すること、実践すること、そのことによって、私たちの人生は、ゆるぎないものとなる。さまざまな困難があっても、イエス様とともに乗り越えることができる。
 イエス様はそのように語っておられます。
                 (「成長」の教案を参考にアレンジしています。)