メッセージ(南沢満雄師)
 昇天の主

 弟子たちに40日間にわたって、姿を現された主はオリーブ山から父なる神のみもとに昇天されました。
神の光の御座に帰られたのです。ですから、それ以降、主に出会ったパウロの場合、
主は目もくらむような光の中で現れました。神の御子は、地上を歩む人の子として、復活者として、
更に栄光の御座にある三つの姿をとって現れました。第一の姿は我々と全く同じ肉体を持ち、
しかしその心の中に聖霊をお迎えすることによって、神の幕屋としての真の人間性を成就されました。
そして、その聖霊なる神を私たちにも住まわせて下さるために十字架の贖いの死を遂げられました。
ですから、十字架の主を見上げて頼る時、私たちの罪も、そこで十字架につけられ裁きがそこで完了し、
罪と世とサタンから解放されるのです。
その瞬間に聖霊さまが霊に入って下さって私たちも神の宮となります。
次に聖霊さまは私たちとともに復活の主を仰がせ、霊と霊による親しい交わりに導かれます。

40日間の復活の主との交わりは、恵みの日々であると同時に、己の弱さ、主を裏切ったことに対する悲しさ、
それにもかかわらず主からの豊かなゆるしを体験する期間でありました。
そこでは、悔い砕かれて、もはや自分の力によらず、神のみに頼ることを学ばされます。

至聖所にいたる金の香檀で捧げられる香料はすべて粉々に砕かれたものでなければならなかったことを、
ペンサコーラリバイバルの指導者リューベン師は強調されます。己の足りなさを痛感させられて、
「弟子たちは祈りに専念した」のです。(使徒1の14)至聖所の主、栄光の主の御座にちかづく道は、
この悔い改めと砕き以外にありません。幕屋の垂幕が引き裂かれた時のように
「私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや、私が生きるのでなく、キリストが私のうちに生きておられます。」
(ガラテヤ2の20)とパウロのように祈らされて、
私たちも栄光の主とともに力ある御座に引き上げられます。

そこではサタンも主と共にある私たちに服します。
そして多くの魂がその闇の霊から神の光の霊へと解放されてゆくリバイバルを見るでしょう。
昔、祭司達が幕屋の門を羊の血を携えて、大庭から聖所へ、そして栄光の至聖所へと出入りしたように、
真の幕屋である主は、日々、大庭でその尊い血潮によっての私たちの罪を清めてくださり、
聖所に導いて豊かな臨在と交わりそして悔い砕かれた祈りへ導かれます。
さらに至聖所ともいうべき栄光の御座で、共に力ある御業にあずからせて下さるのです。
このようにして、主は天の幕屋が地に下る日にそなえらておられます。