メッセージ(大谷孝志師)

神様は約束を果たします
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2017年6月4日
聖書 使徒2:1-13 「神様は約束を果たします」 牧師 大谷 孝志

 私達には誕生日があります。また様々な記念日もあります。今日は聖霊降臨記念日です。この日に教会の働きが始まったので、全世界の教会の誕生日になります。今日の箇所に「五旬節の日」とあります。これは過越祭から50日目のユダヤの祭日で、モーセがシナイ山で律法を授与され、イスラエルが神と契約を結び、神の民として歩み始めたことを祝う日です。この日に聖霊が弟子達に降り、ペテロの説教を聞いた人々が悔い改め、バプテスマを受け、三千人程が弟子に加えられたので、世界中の教会がこの日を、イースター、クリスマスと並ぶ祝日として礼拝を捧げています。

 この日大勢の弟子達がエルサレム神殿の境内に集まっていました。「すると、突然激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、一人一人の上に留まった」のです。これは神がこの世に直接的に介入してきたことの現れです。「風が吹いてくるような響き」「炎のような舌」と言っても、風でも火でもありません。1:3で主が言った「聖霊のバプテスマ」が弟子達に与えられたのです。すると弟子達は皆、聖霊に満たされ、御霊が話させて下さる通りに、他国の言葉で話しだしました。ここで何が起きていたのでしょう。私達はそこにいないのですから分からないと思うかも知れません。しかし、聖書に書いてあることは、皆二千年前の出来事です。事実かどうか証明のしようのない事ばかりです。伝道の難しさもここにあります。ではどうして全世界の教会は今まで存続し続けたのでしょうか。救われる人々が生まれ続けているのでしょう。聖霊の働きがあるからなのです。聖霊に助けられてこの世の常識では考えられないことなのに教会の人々が語ることを真理、真実と受け止められたからです。主イエスを信じて救われるのは、正に奇跡的出来事なのです。私の父も七十を過ぎて救われました。父も母も若い時にキリスト教に触れる機会は有ったのですが、家庭集会には出ても、教会には行きませんでした。良いとは思っても、全てを懸ける程とは思えなかったからです。母は私の最初の妻が亡くなって幼い二人の子を育てる私の為に、それまで無くてはならないものだった。助産師の仕事、謡曲を辞めて、上野から急行で7時間半、そこからバスで1時間半の私の所に来て家事をしました。孫育てと過疎地での生活の中で、自分に頼れるものは主イエスしかいないと気付き、バプテスマを受けたのです。仕事と生き甲斐を捨てざるを得なくなった時に、それが無くてならぬものではなく、無くてならぬものは主イエスを信じる信仰だと気付いたのです。私は無理だと思っていました。しかし主は不可能を可能にし、母を救ってくれたのです。

 激しい物音に驚き、大勢の人々が集まってきました。当時ユダヤ人は諸外国に移住し、そこで先ずは祈り場を定め、群れが大きくなると会堂を建てて、ユダヤ教徒としての信仰を守り、神殿を大切にし、過越祭などにはエルサレム神殿に巡礼に来ました。彼らはディアスポラ(散らされた人々)と呼ばれていました。しかし、この時集まってきた人々は巡礼者達でなく、エルサレムに住んでいた人達でした。ユダヤ人はメシアの出現を強く待望していました。その中でもメシアがエルサレムに出現するとの預言を信じ、エルサレムに移り住んでメシア出現を熱心に待ち続けていた敬虔なユダヤ人達が大勢いて、その人々が集まってきたのです。彼らはそこで驚くべき出来事を見聞きします。弟子達が聖霊に満たされ、他国の言葉で語るのを聞いた時、集まってきた人々は自分の国の言葉として聞き取り、話の内容を理解できたのです。他国とはこの世にある国とは別の国、神の国を意味します。弟子達は神の言葉を語り、それぞれの国から来た人々はそれを自分の国の言葉として聞いたのです。私は高一の時、イエス様の声を聞きました。日本語でした。そこにアメリカ人がいたら、英語として聞いたと思います。主は神の国の言葉を語り、聞く者は自国の言葉として聞けたのです。そこに集まっていたのは世界中からエルサレムに来た人々です。更に11節を読むと、人々はこの驚くべき状況を互いに理解し合えています。

 私達は、旧約のバベルの塔の時と逆のことが起きていると知らされます。当時、全地は一つの話し言葉で意思疎通ができました。人々は神に頼らず、自分達の知恵と力で安全と安心を得ようとして、頂が天に届く塔を建てようとしたのです。それは自分達を神と等しくしようとすることで、人々が自分の思い、欲望を満たそうと暴走する結果になるので、神はそれを避ける為に、彼らの言葉を混乱させ、互いに言葉が通じないようにしたのです。

 神はそのまま人を見捨てて放置せず、その後、人を、神の恵みと愛の中に生き、ご自分と共に生きる者となるように、族長のアブラハム、イサク、ヤコブやダビデ、ソロモン王、預言者のサムエル、イザヤ、エレミヤ等を通して働き掛け続けました。最後に御子主イエスを世に与え、十字架の血の贖いにより、全ての人に救いの道を開いたのです。その神の大きな御業を人々が理解できるよう弟子達に聖霊を下し、神の言葉を語らせたのです。

 人々は偉大な神の力を感じ取り、ペテロの説教を聞く備えができました。そして約三千人が救われ、主の弟子となり、最初の教会が誕生しました。

 神は私達人間の思いを遙かに超えた奇跡を行い、不可能だと思っている事を可能にします。私達は、御霊を下し、会堂が神を神として崇め、霊と真をもって礼拝する人々で溢れることを可能にする神を礼拝しているのです。神の大きな御業を経験できます。私達も神が愛する神の民だからです。