メッセージ(大谷孝志師)

神様に不可能はない
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2017年6月25日
聖書 使徒5:26-42 「神様に不可能はない」 牧師 大谷 孝志

聖霊降臨により誕生した教会の人々の働きが詳しく記されている「使徒の働き」を学んできました。今の私達には想像もつかない不思議な出来事が記されています。私はこれらは事実と確信しています。確信するというのはなかなか難しいと思っている方もいると思います。「信じていないのか」と言われると「信じている」としか言えないのですが、自分にはあやふやなところがあるのを否定できないのです。聖書を読んでも、説教を聞いていても納得できないものを感じてしまうからです。どうしてそうなってしまうのかと言えば、ある宣教師が「日本のクリスチャンは頭でっかちです」と言いましたが、頭で考え、行動しようとするからなのです。聖書、特に旧約聖書は、人が自分の考えで行動すると願うことの逆の結果になり、神に祈り求めて行動したり、神が命じた通りに行動すると豊かな結果、望む以上の結果が与えられると教えています。聖書は私達に判断や行動の基準をどこに置いたらよいのかを教えています。神に不可能はないと信じて、願い求めればよいのです。神は必ず祈りを聞き、求めに応答してくれます。

 先日同盟から送られてきた文書には10年前に比べ現在会員数が22%減っているのを始め、礼拝出席数、教会学校在籍数、全教会伝道所の総決算額が減少しているとありました。この事について特別協議会を持つそうです。神がこの特別協議会を豊かに導くよう祈りますが、私達にとって話し合うことも大切ですが、現状を打破させて下さるのは神であり、神に不可能はないと信じることが大切だと私は思います。今日の箇所の前の部分、5:12-を見ますと、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業が人々の間で行われ、主を信じる者は男も女も益々増えていったとあります。これらの事は使徒たちがイエスの名によって行っていました。ユダヤ議会が死刑にすべきと判断し、ローマ総督に十字架につけて殺させたイエスを、神がよみがえらせ、救い主としたからです。イエスが救い主であることが、誰の目にも明らかになる出来事が、使徒たちによって行われたのです。そしてエルサレム付近の町々から、大勢の人が病人や汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まってきて、その全部が癒されたのです。ですから、これを見た大祭司とその仲間達、当時のユダヤ社会の支配階級の人々が、妬みに燃え上がり、使徒達を捕らえて留置場に入れたのです。彼らは自分達の力で使徒達の行動を押さえ込もうとしたのです。しかし、主の使いが牢の戸を開き、彼らを連れ出し「行って宮の中に立ち、人々にこの命の言葉を悉く語りなさい」と命じ、彼らは夜明け頃宮に入って教えました。

 獄舎は完全に閉まっていて、番人達が戸口に立っていたのに、使徒達は牢から出て、宮に入り、福音を伝え始めていました。常識では考えられない事、あり得ない事が起き、警護責任者達は当然当惑しました。しかし、使徒達が連行されてくると、大祭司は当然のように、彼らを問い質します。大祭司は、自分達は神から権威を与えられているので、使徒達も自分達の言うことをきかなければいけないと自信を持っていたからです。使徒達も「人に従うより、神に従うべきです」と堂々と反論します。彼らは続けて「私達の先祖の神は」と言います。この神は旧約聖書によく出てくる「アブラハム、イサク、ヤコブの神」です。自分達は大祭司を含む議員達と同じ神を信じているのです。裁いているあなたがたと裁かれている私達は、同じ神の民なのですと言ったのです。その神が「あなたがたが十字架に掛けて殺したイエスを、よみがえらせたのです。そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君(指導者・導き手)とし、救い主としてご自分の右に上げられました。」と言います。これは使徒達が知っている事実を伝えたものですが、大祭司達にすれば寝耳に水の話です。当然信じません。ですから怒り狂って、使徒達を殺そうとします。自分達を罪人呼ばわりしたからではなく、彼らが神について嘘を言い、議員達が信じる神を冒涜したからです。それが死に値する行為だったからです。 

 使徒達が、自分達はその事の証人です、聖霊も証人ですと言っても、勝手な事を言っているとしか考えられなかったのです。信仰の問題は目に見えないからです。その時、当時全ての人に尊敬されていたガマリエルが立ち上がり、使徒達を外に出させた上で、議員達を説得します。見えない事については、神に任せ、神が見える形ですることに従いなさいと言ったのです。つまり、神の意志は人間には推しはかることしかできないのです。人間が勝手に推測した事を人に押しつけ、これは神の意志だと言った場合、もしそれが神の意志でなければ、その人々は神に敵対するものになってしまうと警告しました。議員達は彼の説得を受け入れ、使徒達を鞭で打ち、改めてイエスの名によって語るなと命じた上で、彼らを釈放しました。彼らはこの世の権力者に対して弱い立場にあります。彼らが伝える福音は聞く人に信じてもらう以外にないからです。権力者がどんなに押さえ付けても教会はこの後も成長し続けます。主が目に見える弟子達を世に遣わし、彼らの伝える福音の正しさを、人々が教会に来て、主を信じ、救われることで示したからです。私達も福音の正しさの証人、主イエスが救い主である事の目に見える証人です。私達は福音に生き、福音を伝えればよいのです。主は福音の正しさを、人々が礼拝に来て、救われるという見える形で証明してくれます。主は見えなくても生きて、私達と共にいるからです。