メッセージ(大谷孝志師)

最初の殉教者ステパノ
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2017年7月2日
聖書 使徒7:51-60 「最初の殉教者ステパノ」 牧師 大谷 孝志

 殉教者は、死を恐れずに信仰を守り通して殺された人達です。日本では豊臣、徳川政権下で行われた迫害により多くの信者が殉教者になりました。しかし、遠藤周作の小説「沈黙」のモデルとなったクリストファン・フェレイラ等のように棄教し転びバテレンとなった宣教師だけでなく、多くの信者が棄教しました。先週の早天祈祷会でも、私がその場に立たされたとしたら、信仰を守り通して殉教できるかということを、短い時間でしたが話し合いました。結論は「その時になってみないと分からない」でした。

 聖霊降臨後、使徒達は大胆に福音を伝え続けました。主は彼らを守り、主の使いを遣わし、彼らを密室状態の牢から連れ出しました。また、当時全ての人から尊敬されていた律法学者ガマリエルを用いて、彼らを釈放するよう議会を説得させました。しかし、ステパノは最初の殉教者になりました。彼は「信仰と聖霊に満ちた人」で、「恵みと力とに満ち、人々の間で、素晴らしい不思議な業としるしを行っていた」人でした。彼はエルサレム教会の中に生じた人間関係の問題を解決する為に選ばれた七人の執事の一人でしたが、使徒達と同じような素晴らしい働きをしていました。人間的に見れば、主の救いの働きの為に、教会が福音を世に宣べ伝えて行く上で必要不可欠な人に思えます。しかし神は、ユダヤ議会がステパノを処刑するのを許しました。何故かと思いますが、それが神の計画だったからです。

 同盟でも、将来の同盟を担うような牧師が何人も50歳前後で天に召されました。牧師以外にも突然召されて、残念に思った多くの人々がいます。私はその度に「神様どうしてですか」と呟いてしまいました。しかし考えてみますと、伝道するにしても証をするにしても、人間の力ではどうにもならないのです。方策や言葉が分からなかったり、自分には無理と躊躇したりしてしまうからです。使徒達も私達と同じでした。彼らの説教により多くの人が救われたのも、教会が益々成長していったのも、彼らが聖霊に満たされて語ったからです。主が彼らに素晴らしい不思議な業としるしを行わせたからです。全て神が語るべき言葉を教え、御旨を行った結果です。

 ステパノが殺された後、エルサレム教会は激しい迫害を受けました。しかし8:1-によると使徒達以外の者が皆、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされたのです。復活した主は天に昇る前、「聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受け、…エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、及び地の果てにまで、私の証人となります」と言いました。主は彼の死を用いてその約束を果たし、教会に新しい働きの場を与えたのです。

 「散らされた人達は、御言葉を宣べながら、巡り歩いた(8:4)」のです。教会の人々は彼の死を非常に悲しみました。神は激しい迫害にもかかわらず、使徒達をエルサレムに留まらせました。エルサレム教会をこれから誕生する全世界の教会にとって中心的役割を持つ教会、主の教えの基準を示す教会として残す為でした。エルサレムから各地に散らされていった人達は、福音を世界中に広めていきました。この事から私達は大切な事を教えられます。見ている事に動揺せず、神は必要な事をしていると信じればよいということです。ステパノは立派な人でした。私など足元にも及びません。しかし彼は誰にでもできることしたのです。それは、信仰を守り通すことです。勿論、死か棄教かを迫られた時、死を選ぶのは難しいかも知れません。ですから、聖書は彼の殉教の様子を記しているのです。人にとって死は計り知れない重さを持ちますが、黙示録14:13に「今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである」とあるように、主イエスを信じる人にとっては、死は終わりではなく、永遠の御国への門なのです。ステパノはそれを知り喜んだのです。それに彼の死は、彼だけでなく、教会と世の人々にも無駄になっていません。教会には新しい働きの場が与えられ、エルサレムから遠く離れた地に住む人々にも福音が伝えられることになったからです。

 使徒達、後に使徒に加えられたパウロも、神が人々の救いの為に世に遣わした主の僕です。素晴らしい働きをし、各地に教会が建てられました。しかし「使徒の働き」を読めば分かるように、多くの人が救われ、諸教会が建てられたのは、使徒達の働きによってではなく、聖霊の働き、主の御旨によってです。全ては主のご計画の実行なのです。主のご計画が実行されれば、この教会にも多くの人々が来て礼拝を守り、福音を聞き、悔い改めて救われます。更にその人々が主の証人として世に遣わされ、地の塩・世の光となります。尾道が世の人々の救いへの道となり、向島が主に心に向ける人々の島となります。日本のキリスト者は長い間人口の1%のままです。私達の教会も会堂は新しくなりましたが、礼拝の状態に劇的変化は無いままです。だからといって諦める必要は有りません。主は今も生きて私達と共にいます。私達を地の塩・世の光として用いようとしています。

 神の国に生きていると信じましょう。神の国は目に見えませんが、主は「神の国はあなたがたがの間にある」と言います、私達は信じています。信じるから、今、ここで主を礼拝しています。神はこの教会に御心のままに全てを行ってきました。悲しい事、辛い事もありました。しかしそれによって新しい事が始まったと信じましょう。神はステパノ殉教によりエルサレム教会に世界宣教への道を開きました。神はこの教会の為にも更なる計画を立てています。神を畏敬しつつ、神が意志を示す時を待ちましょう。