メッセージ(大谷孝志師)
試練を前向きに捉える
向島キリスト教会 主日夕礼拝説教 2017年7月23日
聖書 ルカ22:31-34 「試練を前向きに捉える」 牧師 大谷 孝志

 31節の主の言葉は、ヨブ記の序章を想起させる御言葉です。そこでは、ヨブが正しい人であるのは主が、彼と一族、財産の全てを守っているからです。それを奪い、危機にさらせば彼は主を呪う筈ですと言うサタンの言葉を聞き入れ、主はサタンがヨブに災いを下すことを許しました。ヨブ2:3には、サタンが理由もなく、主を唆してヨブを破滅させようとしたのですが、彼はどこまでも無垢だという主のサタンへの言葉が記されています。

 今日の箇所には、サタンは弟子達を、小麦のようにふるいに掛けることを神に願って聞き入れられたとの主イエスの言葉が書かれています。それはペトロの信仰が無くなる危機に立たされることを意味しています。しかし、主はその彼の為に、彼の信仰が無くならないように祈っています。主はこの後で、剣のない者は、着物を売ってまでも剣を買えと言いますが、それは、主イエスと弟子達は主の受難が迫るという切迫した状況に置かれていることを示します。彼らが二振りの剣を示すとそれで準備が出来たことを認め「それで十分」と言います。神は人がどのような状況に置かれていても、それに耐えるだけのものを既に備えていることを暗示しています。この後はゲッセマネの祈り、主の逮捕へと続いていきます。

 ヨブ記では、端的に言えばですが、サタンが主の言葉の正しさに挑戦し、主は自分の摂理の正しさを明らかにする為に、サタンがヨブに災いを下すことを許しました。彼は過酷な試練の中で、自分の信仰の正しさを主張し続けますが、最後に自分の罪を認めます。彼は、主の前に立たされた者として、人はどの様な者として生きるべきかを示し続けたことにより、主の豊かな祝福を受けました。

 これに対し、弟子達の場合は、直接サタンの攻撃を受けてはいません。ペトロだけが危機に立たされ、主を三度知らないと言いますが、他の弟子達は逃げだし、遠くから見守るだけなのです。その彼らの為に主は十字架に掛かって死にました。

 この後サタンがふるいに掛けるとは、主の受難を目の当たりにさせることです。弟子達に、生き甲斐、将来、希望、名誉の全てを失ったという思いさせること、彼らに挫折を味わわせ、信仰を失う危機に立たせることでした。ペトロの失敗が、彼らが置かれた心理的状況が、どんなに厳しいものであったかを示しています。しかし彼の失敗の後、主が彼を振り向いて見つめられました。それは、主が彼の為に祈っただけでなく、祈り続け、配慮し続け、関わり続けていたことを示します。ですから、危機に立たされましたが、彼の信仰は無くならなかったのです。

 人は思いも掛けぬ出来事に直面し、信仰を失う危機に立たされる時があります。主イエスを世に遣わした神は、ヨブの時のように、私達の信仰の正しさを証明する為にサタンに誘惑させるようなことはしません。試練を与えますが、私達の信仰を強め、私達に 主の支えと導き、深い愛に気付かせる為です。今はサタンが全力で攻撃してくる「悪い時代」なので、私達が試練を深刻に感じる時があります。しかしサタンは最早主の敵ではありません。主は私達の信仰を正しい方向に導く為にサタンにふるいに掛けさせていると知りましょう。それは、私達の罪が深く信仰が弱いからです。主は、私達にこの世の悪の力の強さ大きさを味わわせることにより、主への思いを新たにさせ、私達に御国に生きる喜びの深さを味わわせようとしています。試練を前向きに捉え、今の時を生きる私達になりましょう。