メッセージ(大谷孝志師)
自由意志という賜物
向島キリスト教会 主日夕礼拝説教 2017年7月30日
聖書 Uコリント 4:1-6 「自由意志という賜物」 牧師 大谷 孝志

 教会は、世の滅びの道を辿る人々に福音を証する為にあります。伝道者パウロはユダヤ人から激しい迫害を受けました、しかし彼らへの伝道を決して諦めません。なぜでしょうか。「彼らが迫害するのは、心に覆いが掛かり、彼らから見ると私が伝える福音に覆いが掛かっているからです」と彼は言います。かつては日本にも激しい迫害の嵐が吹き、会堂のガラスが投石で割られたり、不敬罪で投獄されたりしました。今はそうではありませんが、この教会でも、長い間クリスチャン新聞を配布し続けても、伝道集会を開いて多くの人々を集めても、世の人はなかなか礼拝や集会に出席しません。人々が心の戸を閉め鍵を掛けているからです。心に覆いが掛かり、福音の素晴らしさが分からないからです。しかし希望はあります。布絵教室に来ている岡さんがバプテスマを受けて私達の教会の一員になりました。誰でも主の方に向き直りさえすれば、福音に掛かっている覆いが取り去られ、神様、イエス様、聖霊様の素晴らしさが分かるようになります。そして福音信仰こそ救いの道と知るようになるからです。私も50年以上、主を信じ、教会の一員として生きてきましたが、多くの人が教会に来て、救われ、教会の大切な働きを続けています。日本のキリスト者人口は1%に停滞したままですが、それで落胆する必要は有りません。日本でも今も多くの人々が救われ続けています。それに、主は私達が置かれた状況をご存じの上でこの働きを続けさせているのです。ですから私達は伝道を続けていけます。興味も関心もないという顔をする人が大多数ですが、町の人々は教会も礼拝も知っています。真剣に伝道しても、疲れが残るだけという思いになる時もありますが、この教会でも、これまで多くの牧師夫妻や教会に連なる人々が福音を伝え続けてきたから人々が救われ、ここに教会があるから転籍する人々いて、主が働き人をこの教会に加え続けています。

 しかし徒労に感じる時もあります。悪魔は巧みに私達を無力感に陥らせます。どうしたら良いのでしょうか。私もかつてはキリスト教に何の興味も関心もありませんでした。イエスは私をご自分のものにしようと働き掛けていたのですが、聖書も説教も何が善いのか分からず、イエスも神も到底信じられませんでした。悪魔がこの世の神として私達に働き掛け、福音に覆を掛けていたからです。しかし、私は福音を受け入れました。神は人に自由意志を与え、人の意志と決断によりご自身に従う者を善しとされているのです。神に従うか悪魔に従うかの選択を人に任せています。つまり世の終わりが来る迄は、神は悪魔を世の神とし、支配権を与えています。悪魔は人の目を眩まし、福音の光を隠しています。神が人に与えた自由意志の故に許しているからです。しかし人は悪魔に勝てます。自分の自由意志を用いて主の方に向き直ることにより、その覆いを取り去ることができ、キリストの顔に輝く神の栄光を悟ることができ、悪魔の力を打ち破れるからです。

 パウロは世の人の救い為に、神の御前で自分を相手の良心に推薦しています。相手の自由意志に任せる時、そこに主の働く余地ができます。私達も自分の意志で信じ、自分の意志で礼拝しています。相手に信じ救われて欲しい、それが相手の為だと思うなら、神が私に何をし、私がどう応えたかを、素直に伝えれば良いのです。私達が為すべき事が出来るよう神の助けを求めましょう。悪魔が福音に覆いを掛けていても、それをはね除ける力、自由意志を神は相手に与えています。相手の良心が自由意志という賜物を用い、神に心を向けられるよう祈りましょう。