メッセージ(大谷孝志師)
什一献金の意味
向島キリスト教会 主日夕礼拝説教 2017年9月3日
聖書 Uコリント10:6-12 「什一献金の意味」 牧師 大谷 孝志

 弟子達への聖霊降臨により最初に誕生したエルサレム教会の人々は、心も思いも一つにしていました。彼らは自分の持ち物を自分のものと思わず、全てを共有にしていました。しかしこのような原始共産社会は歴史的には実在しなかったと考える人が多いのは事実です。後世の教会の歴史を見ても、使徒4:32-37に記されているような原始共産社会は、修道院等一部の社会を除いて、成立した記録は有りません。パウロの手紙を読んでも、エルサレム教会は決して豊かではない印象を受けます。彼自身も貧しさを経験していると言っています。

 しかし「使徒達の手によって、多くのしるしと不思議な業が人々の間で行われた」事実を否定する理由も必要もありません。同じように、最初の教会の人々が、持ち物を共有したり、地所や家を持っている者がそれを売り、代金を携えて来て、使徒達の足下に置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたので、彼らの中には一人も乏しいものがいなかったということを否定する理由も必要もありません。むしろ私達は、このような教会の姿から現代に生きる私達の教会の人々への姿勢、神様への姿勢を学ぶことが大切だと言えます。

 私達がもし、心も思いも本当に一つにすることができれば、自分のものは自分のものと主張する必要が無くなるのではないでしょうか。しかし実際には実現不可能です。とは言え、イエス様を主と信じるとは、自分の全てを主のものとすることです。主のものとするとは、現実の生活に於いて、自分や家族、友人知人といった特定の人のものとせずに、キリストの体である教会のものとすることです。

 ここで献金について具体的に考えてみましょう。同盟細則では、伝道所が教会として設立しようとする時は、20名以上の信徒数で自給独立が可能であることを条件としています。その理由は、20名の信徒が平均月額一万円の月定献金をすれば、礼拝等の献金を合わせて専任の牧師を招聘して教会活動を維持できるからと聞いたことがあります。同盟の教会は自給独立が原則です。信徒の献金によって、牧師や伝道師の生活を維持し、教師の働きが十分にできるようにすることで、教会が地の塩、世の光としての働きができ、主に祝された教会となるからです。

 聖書では献金額についてどう教えているのでしょうか。今日の箇所でも額は記されていません。「いやいやながらではなく、強いられてでもなく、心で決めた通りにしなさい」と有るだけです。またイエス様もマルコ12:43でレプタ銅貨(当時の最小通貨)二枚を献げた貧しい寡婦を誰よりもたくさん献金したと褒めました。私達の教会には約20名の教会員がいますが、もし各自の月定献金が千円であれば、計二万円であり、牧師に十分な謝儀を支給できなくなります。ですから多くの教会のバプテスマ前の教育では信徒となる人に什一献金を勧めています。これは旧約聖書で神様が収穫の1/10を献げよと言ったことに由来します。信徒が什一献金をすることにより祝され、恵まれた教会がありました。什一献金は、収入の九割を自分と家族の為に使い、残りの一割を神様の為に使う考え方ではありません。全ては神様のものと考え、教会がこの世で良い働きができるよう、少なくとも収入の一割を神様に献げ、皆で教会を支える為に分担し合おうという考え方です。一割を献げることに不安を感じる人がいるかも知れません。主は人の弱さを知るから、全てを主のものとして共有し合う手本を最初の教会の姿を通して私達に教えています。私達の教会です。一人一人が主に仕えつつ、教会を支えましょう。