メッセージ(大谷孝志師)

神がヨブに与えた試練
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2017年9月24日
聖書 ヨブ2:1-13 「神がヨブに与えた試練」 牧師 大谷 孝志

 ヨブ記は私達に「何故義人が苦しむのか」と「いったい報いを望み得ないのに神に対して敬虔でありうるか」との二つの問いを投げ掛けています。

 先月学んだように、サタンが神を唆して、理由もないのに、ヨブを滅ぼそうとして、彼の全ての持ち物を奪い取りました。シェバ人、カルデヤ人、天からの火と大風を用いて、多くの家畜と僕達と全ての子供達を殺しました。その知らせを聞いた彼は「上着を引き裂き、頭を剃り、地にひれ伏して」深く悲しみました。しかし「私は裸で母の胎を出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう、主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と言い、そのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼしませんでした。

 今日の箇所はその数日後のことです。主の前に神の使い達が集まり、サタンも来て、主の前に進み出ました。この2章の冒頭の部分は「悪から遠ざかっている者は一人も地上にはいない」まで1章と殆ど同じです。その後の主の言葉は、読む人に驚きを与えます。「お前は理由もなく、私を唆して彼を破滅させようとした」という言葉は、主は理由もなく、悪魔が唆すままにヨブを破滅させようとしたことを意味しているからです。私達は主なる神は、「聖なる方、義なる方、愛なる方」と信じています。しかしこの神の言葉を読んで、どこに神の正しさを見ればよいのかと考えてしまわないでしょうか。私は、主がこんな事をする方なら、とても付いてはいけないと思ってしまいました。しかし、ヨブ記は最初に上げた二つ問いを私達に投げ掛けている叙事詩なのです。私達はこの書を通して、主なる神はどういう方なのか、人間はどういう者なのかを知ることが大切なのです。

 サタンは主に「人は自分の命の代わりには、全ての持ち物を与えるものです」と言います。日本にも<命あっての物種>という諺があります。主はサタンが「彼の骨と肉を打って下さい。彼はきっと、あなたを呪うに違いありません」と言うと、今度も「彼をお前の手に任せる」と言います。前回は「ただ彼の身に手を伸ばしてはならない」、今回は「ただ彼の命には触れるな」と違うだけです。今回も主はサタンに唆されて、理由もなく、ヨブを破滅させようとすることを許しました。ヨブ記は、サタンが主と同じレベルにいて、サタンが主に提案することができ、主がそれを条件付きではあるが許したと記します。ヨブが全く関与できないところで、自分に害を加えるという恐るべきことが決定されているのです。恐ろしいことです。彼の噂を聞き、遙々尋ねてきた三人の友人が、彼の姿を遠くから見た時、それがヨブだと分からない程でした。彼らは彼の痛みの余りのひどさに、非常に嘆き悲しみ、七日七晩彼と共にいても話し掛けられませんでした。

 主は、ヨブが思い当たるような理由も無く主に全財産を奪われても、主に対する誠実を堅く保ったのを知っています。それでもサタンに、ヨブの足の裏から頭の頂まで悪性の腫物で彼を苦しめる尋常ではない災いを下させたのは、どんな事が起きようともヨブが誠実に信仰を守り通す、という主の判断の正しさを、サタンに認めさせる為ではありません。ヨブ記は、主が理不尽で尋常ではない事を好き勝手にする方であると教えているのでもありません。ヨブの正しさを知りながら、サタンが彼に激しい災いを下すことを許す主を描いたのは、読む者に、自分の信仰を吟味させる為です。

 私達が教会に来て、主を礼拝しているのは、良いことがあるから、或いはあると思うから礼拝に来るのではないでしょうか。もし、あくまでも「もし」ですが、教会には全く良い事が無く、悪い事だけがあるとしたら、私達はどうするでしょうか。ヨブ記は私達に、何の為に礼拝に来ているのかと問い掛けているのです。このような苦難でなくても、思い掛けない災難に遭う時がありますが、それを試練として受け止めよと教えているのです。ヤコブ1:12に「試練を耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、命の冠を受けるからです」とあります。ヨブはこの試練に耐え抜き、最後に大きな祝福を主に与えられ、ヤコブ書の言葉が真実であるとヨブ記は教えます。しかし、試練として受け止めていても、このままなら死んだ方がまし、死ねば楽になれると思わざるを得ないような試練にあったら私達はどうするでしょうか。妻は夫ヨブに、あなたは神にこうまでされても、まだ神の前に正しくいようとするのですか。神を呪って死になさいと迫ります。神を呪うはサタンが望んだ事、死ぬは神が望まない事で、両方ともサタンが喜ぶ事です。私達は、サタンが人の言葉を用いて、私達に巧妙に罪を犯させようとすることに気付きましょう。

 ヨブは想像を絶する悲しみと苦しみに遭っても、耐えて「私達は神から幸いを受けるのだから、災いをも受けなければならない」と妻に言い、サタンの誘惑をはね除けます。ヨブ記はⅠコリント10:13の「あなた方を襲った試練で人間として耐えられないようなものはなかった筈です。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせず、試練と共に逃れる道も備えていて下さいます」との御言葉が真実だと私達に教えています。

 私達がヨブのように強くなくても、御霊が私達を助ます。時に御心が分からなくなります。しかし彼のように、主の真実を徹底的に信じ抜きましょう。全ては主のもの、主は全ての事を御心のままに行うと信じましょう。私達が良いもの、悪いものとして受け取っているものは全て、主が私達に必要だから与えたと信じましょう。どんな時も主の愛を信じましょう。主は共にいます。サタンの誘惑をはね除けて、喜んで主と共に生きられます。