メッセージ(大谷孝志師)

困難に負けぬ人々
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2017年11月5日
聖書 使徒14:1-7 「困難に負けぬ人々」 牧師 大谷 孝志

 使徒の働きを読むと、凄まじいばかりの御霊の働きが有ったと知らされます。ヘブル人への手紙13:8に「イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません」とあります。私達の教会は、1954年に伝道所としての歩みが始まってからの10年間で14回のバプテスマ式が行われ、45名の方々が教会員となっています。同じ主が、今も働き、新会堂を建設させて下さり、私達一人一人をここに集め、私達に、地の塩、世の光としての働きをさせています。「地の塩」は、塩が他の食物に溶け込むことによって、良い味にし、雑菌から食物を守り、また、本来そのものが持つ良さを引き出すように、世の人々が自分の良い面を見出したり、引き出してあげたり、誘惑に負けないよう、時に自分を犠牲にしても、親身になって相談に乗ったり、人としての正しい道を知らせる者となることです。「世の光」は世の人々の心に光を灯す者、どこに進んだらよいかを知らせる道標となり、自分がどんな状況にいるかを明らかにし、危険から守る者となることです。自分にはどんなことはできないと思うかも知れませんが、できるのです。日本人のキリスト者人口は1%ですが、少数でもキリスト者がいる所には主イエスが共にいて、有名無名の多くの人々に、知恵と力を、そして大胆さを与え、日本の様々な社会の中で大きな働きをさせて下さってきました。

 二人と聖書にありますが、それはシリアのアンティオケア教会から派遣された伝道者パウロとバルナバです。二人は喜びと聖霊に満たされて多くの人々に福音を伝えました。イコニオンでも福音を伝えると、ユダヤ人もギリシア人も大勢の人々が信じ、主の弟子となりました。しかし信じようとしないユダヤ人達が異邦人達を唆して、パウロ達に悪意を抱かせました。瀬戸内海の島々での福音丸伝道も、多くの困難の中で行われ続けました。しかし怯むことなく伝道を続け、多くの教会が生まれました。「それでも、二人は長く滞在し」たとあります。福音は人によって伝えられていくのです。イコニオンに限らず、世界中どこででも、主イエスを信じ、福音を伝えたいと望むキリスト者がいて、自分の口で語るから、人々は主イエスを信じて、救われ、教会が誕生し、成長していくのです。私達主を信じる一人一人が福音を伝えたいと思い、自分の口で知らせるなら、聞いた人達の中から、自分も主イエスを信じて救われたいと願う人が出てきます。でも難しいのが現実です。高校の頃、何で教会の皆はこんな素晴らしい福音を伝えないのだろうかと思いました。中学時代の同級生、先輩、後輩、電車通学で知り合った人を、教会に誘いました。その中でたった二人でしたが救われました。でも他の人にも、福音の種は蒔かれているので、いつか芽を出し、どこかの教会に行き、救われた人もいるのではと思っています。

 福音を知らせなければ、誰も救われる機会を持てません。パウロとバルナバはピシディアのアンティオキアで迫害を受けても、イコニオンに来ました。一人でも多くの人に福音を伝えたかったからです。ここでも迫害され、ユダヤ人達が二人を辱めて石打ちにしようと企てました。それを知った彼らはリステラに逃れ、そこでも福音を宣べ伝え続けました。しかしそこでもユダヤ人達は迫害を続け、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにしました。彼は仮死状態になり、町の外に引きずり出されてしまいました。

 彼らはどんな目にあっても、福音を大胆に伝え続けています。彼らが、特に強靱な精神力の持ち主だったからではありません。聖書は「弟子達は喜びと聖霊に満たされていた」と理由を教えます。「聖霊に満たされ」がどんな状態であったか、私には分かりません。でも、誰の目にも見える状態では無かった筈です。もしそうなら、ユダヤ人も異邦人も恐ろしくて二人を石打ちにしようなどとは考えられなかったからです。確かに彼らは「主によって大胆に語り、主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みの言葉を証しされました」。でもユダヤ人達は彼を辱め、石打ちにしようとしたし、したのです。私達がこの世で様々な奉仕をし、人々に主イエスを信じる信仰の素晴らしさを生活の中で示しても、「あの人は立派だね」「良くやるね」という人間としての評価で終わってしまいます。主は、生きて働いていて、御業を行い、御言葉の確かさを生活の様々な場面で私達を通して示します。ですから私達は主を礼拝しています。でも、私達に主が見えないように、世の人にも人間としての私達しか見えないのです。

 家族を含め世の人々は私達の信仰の確かさ、素晴らしさを知りません。ですから、教会に来ようとしないし、家族や恋人に教会に行くこと、バプテスマを受けることを反対され、困難な状況に立たされた人もいました。困難に負けない為に、聖書が伝えるパウロ達の伝道を思い起こしましょう。彼らは困難に負けません。主イエスを信じて救われた喜びに突き動かされていたからです。福音を伝えずにはいられなかったからです。世の人が滅びに向かっていくのを防ぎたかったからです。でも、パウロはリステラで石打ちにされ、仮死状態になり、町の外に引きずり出されました。しかし、そこで立ち上がると彼はその町に戻り、翌日には別の町で福音を宣べ伝え、多くの人々を救いに導きました。そして自分達を派遣したシリアのアンティオキアに戻る途中、迫害を受けた町々に建てられた教会を訪れ、「弟子達の心を強め、信仰にしっかりと留まるように勧めて、『私達は神の国に入る為に、多くの苦しみを経ねばならない』」と語りました。この言葉を心に刻みましょう。私達の信仰が成長し、教会が成長する為に、人々が救われる為には、多くの苦しみが必要なのです。私達が弱く成長する必要があるから、主は私達に多くの苦しみを経験させるのです。私達は苦しみに立ち向かう時、より強く主の助けを求めます。主は求めに応えて助けを与えます。困難な時こそ恵みの時なのです。主の豊かな恵みを経験できるからです。