メッセージ(大谷孝志師)
心を満たすものは
向島キリスト教会 主日夕礼拝説教 2017年11月5日
聖書 マタイ6:19-24 「心を満たすものは」 牧師 大谷 孝志

 財産は良いものです。普通は<有れば有るに越したことがない>と考えます。しかし、財産も<両刃の剣>になります。ですから、財産と私がどのような関係、上下関係にあるかが、実は重要なのです。昔母から、<人酒を飲み、酒酒を飲み、酒人を飲む>という言葉を覚えていなさい。だから酒は飲んでも、酒に飲まれないようにしなさいとよく言われました。財産も同じなのです。人がお金を使っている内はよいのですが、その内にお金がお金を使うようになり、最後には人がお金に使われてしまうと、家庭も仕事も壊れることになります。主イエスはここで、人が富みに支配され、富みに仕えてしまうことへの警鐘を鳴らしているのです。

 人は何の為に富を得ようとし、蓄えるのでしょう。必要な時に引き出し、使う為です。盗まれたり、富の価値が下がったりするリスクを承知の上で、人は富を蓄えます。この富が有れば将来が安心だと思いたいからです。しかし、富が人を幸せにするでしょうか。ルカ12:13-21に「愚かな金持ち」の譬え話があります。ある金持ちの畑が豊作でした。彼は「これから先、何年分も一杯ものがためられた。さあ、安心して食べて、飲んで、楽しめ」と自分に言います。しかし神は「愚か者。お前の魂は、今夜取り去られる。そうしたら、お前が用意したものは、一体誰のものになるのか」と彼に言います。主は最後に「自分の為に蓄えても、神の前に富まない者はこの通りです」と教えます。しかし、主が6:19で「自分の宝を地上に蓄えるのはやめなさい」と言うのは、お金は価値が変化したり、無くなるからだけではありません。確実で頼りがいがあるように見えますが、お金が有れば幸せかというとそうではないからです。お金がなければ必要なものを買えません。だが物や金が溢れていても、自分の経験を伝え、共有できる相手がいなかったら、幸せと言えるでしょうか。お金で人に言うことを聞かせることはできます。しかし人の心はお金では買えません。互いに愛し合い、励まし合える人がいるなら、例え、お金が無くても幸せなのではないでしょうか。お金が人を幸せにするのでなく、相手と一緒に、思いを一つにして生きることによって幸せな生活が開かれていくのです。そのような人がいることが幸せだと心に刻みましょう。

 しかし、愛し、信頼している家族や友人に、幻滅を抱くことがあります。相手が悪い場合もあり、裏切られたと思い、自分は何と不幸な人間だろうと落ち込みます。しかしそんな時こそ、真実を見抜く目を持つことが必要なのです。ですから主は、富についての二つの教えの間に「からだのあかりは目です」の例えを挟み、私達が澄んだ目、真実を見抜く目を持つことの大切さを教えるのです。

 「天に宝を蓄えなさい」と教えたのは、天には全ての人が現金や高価な物を蓄えておける安全で確実な倉庫が有るからではないのは勿論です。天という目に見えない世界、神の世界を大切にしなさいと主は教えたのです。見える物は確実に見えます。しがみつきたくなります。しかし、物は壊れ、人は死に、状況も日々変わります。ですから、澄み切った健全な目でこの世の人や物を見ること、信仰の目で永遠に変わることのない主を見上げて、主を一番大切にして生きることが大切なのです。そうすれば、目に見える人や物に支配され、縛られることなく、どんな人とも一緒に、思いを一つにして生きられると分かります。自分も相手も主が愛し、支配している世界に生きていると分かるからです。そして感謝をもって人や物に接し、大切に思うことができます。それが本当の幸せな生活なのです。