メッセージ(大谷孝志師)
心配に潰されない為に
向島キリスト教会 主日夕礼拝説教 2017年11月12日
聖書 マタイ6:25-34 「心配に潰されない為に」 牧師 大谷 孝志

 人は明日の事が分からないから心配します。しかし主は「明日のことまで心配しなくてよい」と言います。主がこう言うのは、神は私達の天の父だからです。父は自分の子供達には良いものを与えます。そのように、神は私達を我が子として愛し、必要なものは何かを知り、必要な時に必要なものを与えて下さるのです。だから明日の事を色々考えて心配しなくてよい、と主は教えます。しかし、明日の食材を買うお金がなければ心配になります。寒くなると冬物の服の心配をします。主イエスは、貧しく、清く、美しい生活を地でいっていたと思います。パウロも「私は貧しくあることも知っており、富むことも知っている」と言います。主もパウロも、天の父が養ってくれると知っていたから心配しないのです。

 ですから主は「何を食べようか何を飲もうかと、自分の命のことで心配したり、何を着ようかと、自分の体のことで心配したりするのはやめなさい」と言います。主は、命も体も天の父である神のものであると知っているからです。そして私達に「その事を知りなさい。そうすれば何事も心配せずに生きられる」と教えます。その為に、空の鳥や野の花を取り上げます。天の父は創造した全てのものを、養い装っていて下さいます。ですから、鳥も花も何の心配もせずに生きています。それなのに人は心配をします。それらには無い知恵を持っているからです。経験を通して現状や将来を判断し、推測する知恵を持つので心配してしまうのです。

 では人は何故知恵を持つのでしょう。人は子が生まれることにより親になり、子がいるから自分が親だと意識します。神は自分が神である為に、自分を神として認識し、礼拝する相手が必要なのです。その為に人を特別な存在として造り、知恵を与えたのです。しかし人が罪を犯したのとにより、その知恵が曇ってしまったのです。ぼんやりとしか分からないので、人は思い悩んでしまうのです。

 赤ちゃんが母に抱かれてニコニコしているのは、母が自分を一番大事にしていると感じ取っているからです。鳥や花は農作業や裁縫をしなくても、元気に飛び回り、美しく装っています。大事な事は、赤ちゃんが母にするように、神を信頼し、任せ、自分は神の懐にいると信じることです。そして神が養い、装わせて下さるものを感謝して頂くことです。神は私以上に私のことを知ると信じましょう。今の私に必要だから与えているし、必要ないから与えないのだと信じましょう。

 確かに物やお金は有ればあるほどよいと考えます。でもそれは人を欠乏症にします。それらが人を幸せにするのではありません。物は壊れ、お金は使えば無くなります。物やお金に頼らず、神に頼りましょう。神に頼れば要らぬ心配から解放されます。主は誰もが幸せになれるようにとこの話をしているのです。

 さて、主は心配するなとは言っても、求めるなとは言いません。逆に「求めなさい」と言います。与えられるのを待ち、与えられたものを感謝するのは大切です。しかし自分や他人、家族の現状を変えなければならない時もあります。その時の求め方が大切です。あれこれと箇条書きに必要な物を並べ立てて求める必要はありません。それでは切りがなく、何か求めたり無いものはないかと心配の種が増えるだけです。主は「神の国とその義を先ず第一に求めなさい」と言います。これは「御心が行われますよう」にとの祈りです。自分の思いを満足させることを求めず、御心に全てを任せる祈りです。赤ちゃんのように神の懐に憩いましょう。そうすれば明日の事への心配に潰されずに、今日を安心して生きられます。