メッセージ(大谷孝志師)

救い主の母マリア
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2017年12月3日
聖書 ルカ1:26-38 「救い主の母マリア」 牧師 大谷 孝志

 私が教会に行き始めた頃、先ず疑問に思ったのは、教会の人達は何で七日で、実質六日で世界が創造されたことや処女降誕と死人の復活を真面目に信じているのかということでした。教会の人は、6日で世界が造られたと信じているのではなく、聖書はこの世界と神の関係、歴史における神の関わり方を明らかにしていると聞いて、天地創造については納得しました。しかし、処女降誕とイエスの復活はどうしても信じられませんでした。でも、今はその両方共信じています。納得したからではありません。イエス様の声を聞いたからです。クリスマス燭火礼拝、年末祈祷会に誘われて出席して教会の人達の信仰に触れて大きなショックを受け、私はキリスト者になりたいと思いました。でも、なりたくてなれるものではありません。イエスが自分の主で、今も生きて働いていると聞いても、信じられなかったからです。でもキリスト者になりたくて、教会の礼拝や祈祷会、バイブルクラスに出席、教会清掃などにも学校帰りに参加しました。それが二ヶ月も続くと、時折、先輩達がバプテスマを受けないかと聞いてきました。でも、信じられないので、受ける気にはなれません。しかし1962/3/21にその時が突然来ました。家で、もう教会なんか行きたくないと思ってふてくされていた時、主イエスの語り掛ける声が聞こえたのです。イエス様はいるんだと分かった時、全ての疑問が吹っ飛びました。奇跡が起きたのです。直ぐに牧師に告げ、一ヶ月の準備会の後、三人の中高生と受浸しました。一人の中学生は既に決心していましたが、高校生はまだだったので、二人で訪問し、一緒に受けるよう勧め、彼も決心しました。もう一人の女子中学生が迷っていると知っていたので、夜中でしたが、三人で訪問し、話をし、祈り合った結果、彼女も決心しました。数日前までは、自分がこのような事をするとは考えられませんでした。主イエスが私を変えたのです。

 ヘブル13:8に「イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません」とあります。私に起きた奇跡は今教会に来ている人達にも起きます。主は今も生きて働いているからです。CS生徒が受浸を決心して申し出たのも、長年離れていた方が教会に戻ってきたのも奇跡です。先日のミニコンサートに多くの近所の方々が来たのも奇跡です。何故教会には奇跡が起きるのでしょうか。それは「教会はキリストの体であり、すべてのものを全てのもので満たす方が満ちておられるところ」だからです。

 御使いがマリアに「おめでとう。恵まれた方。主が共におられます」と言ったように、主は私達にも「おめでとう。恵まれた人々。私はあなたがたと共にいます」と語り掛けています。彼女はひどく戸惑ったとあります。自分が神の恵みを得ていたと気付かなかったからです。私達も聖書を読んだ時、説教や証を聞いた時「本当かな」と戸惑うことはなかったでしょうか。「それは本当なのです」。私達と共にいる主が与えた恵みだからです。

 マリアは御使いに、妊娠して男の子を産みます。その名をイエスと付けなさいと言われます。自分がどんな子を産み、その子の母となることの素晴らしさを知らされても、彼女は納得できません。自分には全く可能性がないとしか思えなかったからです。私達は突然、こんな事も起きるんだとか、こんな事が出来たら素晴らしいのにと感じたことはないでしょうか。でも、不可能だと思い、自分や自分達には無理な話と諦めてしまってはいけないのです。その時、神は私達に実現可能な夢、希望を与えているのです。私達を用いて素晴らしい事をさせようとしているのです。でも私達は、過去を振り返り、今を見つめてみても、ほんの少しの可能性も見出せず、そんな事は起きようもないと思ってしまいます。同じように信じられずにいる彼女に御使いは、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き力があなたを覆います」と言います。この世の経験や知恵に留まっていては、信じられません。聖霊の働きを、いと高き方の力を信じなさいと彼女に言ったのです。

 日本では100人に一人しか信じていないのに、私達は、主イエスを救い主と信じ、求めています。聖霊が働き、いと高き方神の力が私達に働いたからです。私達はこの世の常識ではなく、神の国の常識の中に生きています。御使いはマリアにそう教えました。私達も改めて、自分がどんな国に生きているかを考えましょう。この世的に言えばとても不思議な世界です。でもその世界に私達は生きています。そしてこの世界に生きているのはマリアだけでなかったし、私達だけでもありません。多くのキリスト者が一人でも多くの人が救われるようにと、福音を伝え続けています。とは言え、イエスを信じ、神の国に生きていると信じることは、人生の向きが180度変わることです。これ迄の人生観、価値観が根底からひっくり返されるような変化を経験することです。私も経験しましたが、経験してみると以外にあっさりしたものでした。神の国は目に見えないし、神もイエスも見えません。でも、自分は変わった。主が共にいると感じられるのです。マリアも自分の変化を受け入れました。どうしてでしょうか。御使いがマリアに、年を取って妊娠の可能性がなくなった親類のエリサベツが妊娠し、六ヶ月だと告げ、その後、神にとって不可能な事は何もないと言ったからです。神は、しようと思う事を何の障害もなく行える力ある方だと知ったのです。彼女はこの事を知って、自分は主の女奴隷だと告白します。パウロも自分を主の奴隷と言っています。主を信じるとは、絶対的力と権威を持つ主が、御心を行う為に自分を用いようとしていると知ることです。ですから「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」とマリアは御使いに答えました。自分の心も体も主の為に献げる決心ができたからです。

 主は「おめでとう。恵まれた人々。私はあなたがたと共にいます」と語り掛けています。私達を何の為に用いようとしているか、将来何が待ち、どんな変化が生じるかは分かりませんが、私達を愛する主は、私達の為に最も善い事をすると信じ、全てを受け入れて、全てを主に委ねましょう。