メッセージ(大谷孝志師)
狭い門と細い道
向島キリスト教会 主日夕礼拝説教 2017年12月3日
聖書 マタイ7:13-14 「狭い門と細い道」 牧師 大谷 孝志

 主イエスは「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入っていく者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう」と言います。主がそのような狭い門と細い道、広い門と広い道を人々に指差しながら教えたのでもないし、その門が地上のどこかに存在しているのでもありません。主は人の生き方を象徴的に描き出しているのです。広い道と門は楽な生き方を象徴しています。広い道や門には「滅びへの道」「滅びへの入り口」という看板がないので、楽な方法と苦しい方法の二つがあれば、人は楽な方を選んでしまいます。主はそれは正しい選択でないと教えているのです。

 ローンのCMがテレビに頻繁に流れます。低金利時代にローンの利率は普通預金の数千倍です。金融機関が莫大な放映料を払っても放映するのは、十分な利益を得られるからです。利子を払ってでも借りる人がいるからです。働いて稼ぐより借りた方が楽だと考えるからです。楽に稼げるバイトがなく、良い職も見付からないからと、当座の楽な道のローンを選ぶ人もいます。しかしその先に待つのはローン地獄で、やがて多重債務者になり、自己破産する人もいます。更には闇の世界に落ちていく人もいます。懸命にバイトや就職先を探し、地道に働くのは決して楽ではありません。しかしそこには自立した人としての充実感があります。

 楽な道を通り、楽な門から入る人はどんな人でしょう。直前の段落で「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい、そうすれば開かれます」と主は言い、求め、探し、門を叩くなら、その行為には必ず良い結果が付いて来ると教えます。しかしそれは蛇口をひねれば水が出てくるのとは違います。主が教えるのは「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」(ロマ5:3、4)世界の生き方です。思いのままに生きられる世界ではなく、努力し、向上を目指し、将来に期待して生きる世界です。広い門から入る人は、努力し忍耐するのは大変だからとその狭さを嫌い、求めず、探さず、門を叩かず、なるようにしかならない、その内何とかなるだろうと考え、今手に入るもので満足しようとする人達だと言えます。この二段落後には砂の上に家を建てた愚かな人の譬えがあります。家を建てる時、先の事を見ず、取りあえず建てた人です。広い門から入るとは、今が良ければ、今の事だけを考えていれば良いという気楽な人と言えます。この現実を直視しないご都合主義、刹那主義が、人生に様々な問題を生じると、主は教えています。

 ですから主は「細い道を通り、狭い門から入りなさい」と教えます。広い門から入る人が多いのは、先の事が分からないからです。それが滅びに至る結果になると分かっていれば、別の道を探し、それが細くてもその道を選ぶでしょう。子供は大人をよく見ていて、物事の本質をずばっと言い当て、子供に教えられる時があります。本質を見抜くのは、それ程難しくはないのです。主は「子どものように神の国を受け入れなさい」と言います。大人になるにつれて、人は眼鏡に様々な色が付いてしまいます。他人だけでなく、自分をも色眼鏡で見ていないかを吟味しましょう。素直で澄んだ目、子どもの目を取り戻すと、主が指し示している細い道、狭い門を見出せます。本当はこれが一番楽な生き方なのですが、その道が細く、門も狭いので、見出す人が少ないのです。幸いな人になりたいなら、努力と忍耐を惜しまず探しましょう。その先に真に幸いな人生が待っています。