メッセージ(大谷孝志師)
自分にできる事
向島キリスト教会 主日夕礼拝説教 2017年12月17日
聖書 マタイ14:13-20 「自分にできる事」 牧師 大谷 孝志

 今夕は、五つのパンと二匹の魚で五千人が満腹した話です。これは主イエスが行った有名な奇跡で、受難週の記事を除いて、唯一全福音書に記載されています。「食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人程であった」とありますが、女性と子ども達が空腹のまま捨て置かれたとは考えられません。ですから、主は万を超える人々を少量の食べ物で満腹させたのです。不思議な事です。しかし、聖書には主が病気を癒し、悪霊を追放し、死人を生き返らせた記事が幾つもあります。父なる神は主に、人知を遙かに超えた力を与えています。私達はそれらの奇跡が事実起きた事と信じます。主はマルコ10:15で「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません」と言います。「神の国を受け入れる」とは、自分が神の支配する世界に生きていると信じることです。子どもは親を疑わず、親の愛に安心して、浸りきります。主は子どものように神の愛に安心し、神の愛に浸りきりなさいと教えます。それは私達にできる事です。

 今日の箇所で私達は、弟子達とイエスの考え方の違いに気付きます。彼らは群衆を解散させ、自分で村に行って食物を買いに行くよう主に言いますが、主は、弟子達が彼らに食べ物を上げるよう命じます。彼らが五つのパンと二匹の魚を大群衆と比べ、微々たる量だと考えても、主にはその量は全く関係がないのです。

 私達も自分を見て、「これしかない」と考える事があります。新しい事を始めなければならない時、新しい立場に置かれることになった時、自分にできるかと躊躇することがあります。期待される役割と自分の力とを比べてしまうからです。しかし主イエスは私達に「あなたにはできます」と言ってくれます。私達には、躊躇する必要も、諦める必要もないのです。何故なら私達が信じている神は、どんな事でもできるからです。とは言え、私達にはすべき事があります。主は弟子達に「それを、ここに持ってきなさい」と言います。私達が自分が持っているものを主に差し出すことが必要なのです。私達のものを主に委ねる時、状況が大きく変わります。新しい事を始める時、新しい立場に立たされる時には、自分がするのではなく、主にさせて頂くという気持ちを持てば良いのです。主は私達が持つものの大小を問いません。主に献げること、主に使って頂こうとする姿勢を、主は私達に求めるのです。パウロはUコリント4:7で「私達は、この宝を、土の器に入れているのです。それは、この計り知れない力が神のものであって、私達から出たものでないことが明らかにされる為です」と言うように、私達が土の器でも、神は力強い御手をもって私達を支え、導いて下さるのです。私達にできる事は何でしょう。自分を神のものと信じること、させて下さいと神に求めることなのです。

 イエスが、五つのパンと二匹の魚をとり、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いて、それを弟子達に配らせました、するとパンも魚も膨大な量となり、万を超える人々が食べて満腹しました。私達はこのような事ができる神を信じていることを心に改めて心に刻みましょう。その神が私達を掛け替えのない存在として愛していることを心に刻みましょう。私達が信じる神の富みは無尽蔵で、神はその恵みを惜しみなく私達に注いで下さるのです。私達は神の器として選ばれ、救われ、教会の一員とされているからです。自分がどんなに小さく、無力に見えても、神は私達を通して世の人々を救われます。ですから、自分でしようと思わず、どんな事でもできる神に求めましょう。それが私達に出来る事だからです。