メッセージ(大谷孝志師)

主の恵み溢れる教会
向島キリスト教会 新年主日礼拝説教 2018年1月7日
Iテモテ 1:12-17  「主の恵み溢れる教会」  大谷孝志牧師

 2018年、最初の主日礼拝を共に献げることができ感謝です。一年の計は元旦にありと言います。皆様方もこの一年をどのような年にするかを考え、様々な目標を立てたことと思います。中には、なるようにしかならないと思った人もいると思います。しかし、私達は目的もなく偶然ここにいるのではありません。主が私達をここに集めたから、ここにいるのです。その主は、私達が漫然と生きるのではなく、目標を立てるよう求めています。

 一年前は、牧師交替という大きな出来事を控えていました。そのような中で、どうなることかと思いつつ過ごしていた方もいたのではと思います。九ヶ月を過ごし、多くの方が、この教会が主が建てられた教会であることを再認識しているのではないでしょうか。主は責任を持って下さり、一人一人を愛し、導き、支えて下さったからです。そのような私達は、どんな目標を持ったら良いのでしょうか。教会に連なる者として、一人一人が教会がこの一年がどんな歩みをしたら良いか考えてみて下さい。でも、銘々が自分なりの目標を立てて、その目標に向かってバラバラに歩んでしまったら、教会は十分に成長できません。ですから教会として一つの目標を立て、一人一人がその目標達成のための自分の目標を立て、その目標に向かって歩むことが大切です。私はこの教会が「主の恵みが豊かに溢れる教会」という目標を掲げて歩んでいければと私は思っています。

 この目標について考えながら、今朝の箇所を学んでいきたいと思います。この手紙は、パウロが自分の子のように愛していたテモテという一人の牧者に宛てたものです。しかしこれは、テモテが牧会をしていた教会だけでなく、諸教会の中に起きていた様々な問題についてどう正しい対処したら良いかの御心を教える手紙となっているので、聖書に入れられています。パウロは、教会の中で苦闘している彼に、牧者としての正しい生き方を教えると共に、監督や執事、長老、老人、若者、男性、女性等の様々な立場にいる人々に、信徒としての正しい生き方を教えています。彼がこう言えるのは、彼自身が主イエスによって強くされているからです。主がこの務めに就かせて下さったからです。彼はこの事をまず感謝しています。彼がこのように、主に強くされ、主に務めに就かせられたことは、私達が「主の恵み溢れる教会」を目指す上で、とても重要な点です。

 パウロは自分に起きた事を通して、主の恵みの豊かさ、確かさをテモテに語り、それを通して、この手紙を読む全ての人に証をしています。彼は過去の自分を振り返ると、主イエスを信じる前の自分はどう見ても神から恵みを受けるに相応しい者とは言えませんでした。しかしその自分が豊かな恵みを与えられたのです。私達も教会に来て初めて、主イエスを信じる者に与えられる恵みの素晴らしさを知りました。彼のように、私達が関わりを持っている全ての人に、その素晴らしさを伝えられたらと思います。

 パウロは、主が教会の外の人々の救いの為に自分達を用いていると知っていました。私達もかつては教会の外の人でした。しかし、教会の中の人々が、主に用いられて私達に働き掛けてくれたから、教会を知り、主を知ったのです。そして、私達が主を信じ救われ、教会の中の人になることにより、教会は更に一層主の恵みに満ち溢れるようになりました。昨年、長い間離れていた方が教会に戻ったこと、教会員のお子さんが受浸を決心したことで、どれ程の恵みが教会に溢れたか、皆さんもご存知の通りです。

 パウロは「『キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた』という言葉は、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人の頭です」と言います。私は教会に来るようになっても、自分は罪人だと思いませんでした。主を信じるようになって、ようやく分かりました。彼は三回伝道旅行をして、教会誕生の為に大きな働きをし、沢山の人々を主イエスを信じる信仰へと導いたのに、自分を罪人の頭だと言います。その彼に、そのような働きができたのは、彼が主の憐れみを受けたからなのです。私達も同じです。自分の力で伝道しよう、人を信仰に導こうと思っても、できるものではありません。主が私達を憐れみ、罪人のまま受け入れ、豊かな恵みを与えると、私達は世の人に伝道できるし、信仰に導けます。自分が一番大事としか考えられない罪人のままでも、私達は主の愛と恵みの中に置いて頂けるのです。その理由は、まだ主を信じていない人に、罪人でもこんな生き方ができると示す為の見本として、主が用いているからです。

 私達もかつて、そのような教会の人々を見て、主を信じることの良さを感じ、教会に来て、主を信じて永遠の命を得る者となりました。そして主は、その私達に「あなたがたは地の塩です」「あなたがたは世界の光です」と言います。更に主は「あなたがたは自分にできることをすればよいのです。私はあなたがたの弱さを知っています。だから知恵と力を与えます。生き生きとこの世で生きていなさい」と言います。このような主を思い、彼は神を褒め称えずにはいられなかったのです。彼は「どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、譽れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン」と讃美しています。

主が私達を憐れんでいるので、こうして毎週礼拝を守っていられます。教会があるから、私達がこの世でキリスト者として生きているから、人々は主イエスを信じれば、永遠の命を得られるのです。私達はその人々が、どうすれば救われるかを知る見本として、この世に生かされています。ですから弱く愚かでもいいのです。神もイエスも分からず、その名を知っても反発していても、主の恵みを豊かに戴いていると示せれば良いのです。私達にできることは、主の憐れみを心にしっかりと刻むことです。主に感謝し、主イエス・キリストにある信仰と愛をしっかりと保ちましょう。そうすれば、この教会も「主の恵み溢れる教会」になります。一人一人がこれを目標に掲げ、この一年を主と共に、兄弟姉妹と共に歩み続けましょう。