メッセージ(大谷孝志師)
主は私の助け主です
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年1月7日
マタイ14:22-33 「主は私の助け主です」 牧師 大谷 孝志

 新しい年を迎え、この一年の歩みを思い、共に御言葉を戴きましょう。私達がこの世に生きていて無くてならぬものは何でしょうか。主はルカ10:42でマルタに「どうしても必要なことは…一つです。マリアはその良いほうを選んだのです」と言いました。私達もその良い方を選んでこの一年を歩んでいきたいと思います。マリアは何を選んだのでしょう。マルタが主イエスを家に迎え、その接待に忙しかった時に、マリヤは主の足下に座って御言葉に聞き入っていたのです。良い方とは御言葉に聞き入るということでした。この世に生きる私達は、様々な不安、恐れに心を奪われます。今日の箇所はどうすれば平安に過ごせるかを教えます。

 主は弟子達を強いて船に乗り込ませ、彼らだけで湖の対岸に行かせました。湖は琵琶湖の1/4の大きさで高い山に囲まれ、時に夕方に山颪の突風が吹きました。彼らが沖へ漕ぎ出すと、その突風が吹き、長時間波に悩まされました。この姿は、順調でない時の私達の姿を暗示しています。漕ぎ悩む彼らの所に、主が湖の上を歩いて来ました。不安だった彼らはその姿を見て「あれは幽霊」だと怯えました。

 主は何故彼らの所に来たのでしょう。彼らの不安と恐れを取り除く為です。いつも共にいる主がいないことで不安に陥っていました。対岸を目指しても向かい風と波に阻まれ、努力しても目的が達成できない焦りが不安を増長させました。荒れ狂う波は沈没と死を予感させました。私達も時に同じ様な状況を経験します。主は弟子達を助けるために来ました。しかし不安と恐れの中にいる彼らには、主を見ても見えないのと同じでした。私達が不安と恐れに囚われるのは、主が共にいるのに気付かないからです。主が波の上を歩いてきたことで、聖書は私達がどんな状況にいても助けられること、人にはできないと思っても、主にできないことは無いことを教えています。弟子達は主に語り掛けられ、不安と恐れを取り除かれました。私達も御言葉によって直面する事柄への不安や恐れを取り除かれ、自分を取り戻すことできます。御言葉には私達の現実を変える力があります。

 ペテロは主がしたのと同じ事をしたいと思います。主のように生きたいと思うのは私達にとっても大切な事です。私達の信仰の向上、成長の為にはこれが必要なのです。もちろん彼も自分の力ではできない事を承知しています。だから私に命じて下さいと言います、これも大切な事です。私達がこれを実行し、実現したいと真剣に思い、それが御心と信じるから、主よこれをするよう私に命じて下さいとお願いできるからです。主が命じるならそれが出来ると信じた彼は、主に「来なさい」と言われて船から出て、水の上を主に向かって歩きます。ところが風を見て怖くなり、沈みかけました。風を見た時、彼は主から目を離したのです。主を見つめて歩くペテロには不安や恐れはなかった筈です。しかし襲ってくる風と波に気を取られた彼は、主から目を離して、自分がどんな状況にいるか知ろうとしたのです。そして沈みかけました。私達は主から目を離さない限り、主が御力をもって支配する世界に生きられます。目を離すと、サタンが支配する不安と恐れに満ちた世界に沈みそうになります。私達人間はそれ程弱いのです。彼は主に助けを求めました。それで良いのです。私達はペテロに手を差し伸ばして助けた主が支配する世界に生きているのです。確かに主は目に見えません。見えなくても信じて主に目を注ぎ、主が共にいると信じましょう。艱難の中でもしっかりと歩ませて下さり、弱さ故に目を離しても、手を差し伸べ、助け出して下さいます。