メッセージ(大谷孝志師)
永遠の命
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年1月21日
マタイ16:21-28 「永遠の命」 牧師 大谷 孝志

主イエスはご自身の死と復活について三度予告しました。今日の箇所は第一回目です。主は何故ご自身の受難について語ったのでしょう。私達に自分の将来についての正しい理解を持たせる為です。人は生きていればいつかは必ず死にます。死んだらどうなるのでしょう。私はキリスト者になる前は、死は無だと考え、暗黒の中に引きずり込まれ、無限に落ちていくと考えていました。主を信じ救われると、死は終わりではなく、永遠に生きることを実感する命の門だと知りました。主イエスが十字架に掛かって死んだからです。でも弟子達はこの時はまだ、自分達に永遠の命を与える為に、主が十字架に掛かって死ななければならないと知りませんでした。それに、ペテロはこの直前、主を神の子キリストと告白して褒められました。主は彼に天国の鍵を与えました。それなのに主が、自分はユダヤ教の指導者達に殺されると言ったのです。彼はそんな起こる筈ない事を言う主は、何か勘違いをしたと思ったのです。それで主を引き寄せて、いさめ始めたのです。

 彼は、主を上から目線で見て、主が言った事を自分の判断で否定したのです。私達もうっかりすると、聖書の御言葉に対して同じような間違いを犯す時があります。神は私達に「福音を伝えなさい。地の塩、世の光となりなさい」と命じています。しかし「私は主とは違います。自分にはできません」と祈りの中で答えてしまうことはないでしょうか。神はご自分が創造した全ての人が、一人も滅びることなく、永遠の命を持つことを望んでいるのです。私達が愛する人々、救われて欲しいと願う人々が滅びることなく、ご自分と共に永遠に生きることを望んでいるのです。ですから主は復活した後、弟子達に「全世界に出て行き、全ての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」と命じたのです。主は十字架に掛かって死にましたが、滅びることなく復活し、死は滅びではないことを私達に示しました。私達は、永遠に生きられる喜びをどれ程強く感じているでしょうか。主を信じて救われなければ、命を失い、滅びることをどれ程強く感じているでしょうか。

 全ての人を救おうとする神の御心を行う為に、主は受難の道を進もうとしています。サタンは神が全ての人を神の子、ご自分のものとしようとしていると知り、それを阻もうとしています。ペテロの行動は、サタンが喜ぶ行動でした。ですから、主は彼をサタンと呼び、下がれと命じたのです。私達は主の十字架の死と引き替えに永遠の命を戴きました。そして今、主イエスに従って生きています。主の愛と恵みの中で、安心してこの世に生きています。主はその事を感謝しているなら、私と同じ道を歩んで欲しいと言います。主は復活して天にいます。私達も神の子とされ天にいます。しかし、主が招いても気付かずにこの世の中に生きている人々、滅びに向かっている大勢の人々がいます。私達が以前そうだったように、他の神仏を拝んでいるので死んでも滅びないと信じるか、死んだら永遠の火に投げ込まれて永遠に苦しみを受けると知らずに、無に帰るのだけなので仕方がないと受け止めています。主イエスは、全ての人に永遠の命を与える為に、十字架への道を歩みました。主を信じ、主と共に生きるとは、その主のように生きることです。主を信じるとは、主に従うことであり、自分を捨て、自分の十字架を負い、主に従うことです。私達が今、永遠の命を戴いているように、一人でも多くの人が永遠の命を戴けるように、主に従いましょう。主は私達と共に歩いて下さいます。必要な知恵と力を与え、この世の自分の人生を全うさせて下さいます。