メッセージ(大谷孝志師)

全ての人の救いの為に
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2018年2月4日
使徒15:1-22  「全ての人の救いの為に」  大谷孝志牧師

 パウロらはピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラ、デルベで、激しい迫害に遭いながらも福音を伝え続け、その町々に教会が生まれました。何故、福音を宣べ伝え続けられたのでしょう。神が彼らと共にいて、彼らが語る言葉が、本当だ、確かだ、真実だと証明したからです。そして神が異邦人に信仰の門を開いたからです。私達も福音を伝えたい相手がいるなら、主が私と共にいると信じましょう。そして素直に自分の思いを伝えましょう。今まで何度もしてきたが駄目だったと諦めている方がいたら、伝えさせて下さい。話をさせて下さいと主に祈り求めましょう。主はその人を愛しています。その人が主の愛に気付き、主イエスを信じなければ、滅びへの道を歩み続けるだけです。パウロは滅びることがどんなに大変なことかを知っていました。だから、懸命に語り掛けたのです。そしてたくさんの異邦人が信じました。私達も誘いました。祈りました。でも教会に来ようとしないのが現実です。しかしその現実に負けてはいけないのです。13:48に「そして、永遠の命に定められていた人たちは、みな、信仰に入った」とあります。人を救うのは主であって、私達ではありません。でも、私達が宣べ伝えなくては、世の人は主の愛も御心も信じられず、救われません。世の人に福音を伝えることを私達は主に委ねられているのですが、誰が永遠の命に定められているか、人間には分からないのです。ですから、彼は諦めず、一生懸命に福音を伝え続け、多くの異邦人が救われたのです。

 パウロとバルナバはその働きを終えて、自分達が福音宣教に送り出されたアンテオケ教会に戻りました。ある人々がユダヤからやって来ました。このユダヤはエルサレム教会を指しています。この教会は主イエスから正しい信仰かどうかを判断する権威を与えられていました。しかしアンテオケ教会に来た人々は、元はパリサイ派のユダヤ教徒で、主イエスを信じて主の弟子となった人達です。実はこの教会の主だった人々は、自分達は主イエスが神のひとり子、救い主と信じるユダヤ教徒と考えていました。当時のエルサレム教会には、イエスを主と信じても、ユダヤ教徒としての生き方に固執する人々が多かったのです。アンテオケアに来たのもその人々で「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と異邦人キリスト者に教えました。そして、割礼を受けなくても、主イエスを信じるなら救われると教えていたパウロとバルナバと彼らとの間に、激しい対立と論争が生じました。そこで、パウロらがこの問題について使徒達や長老達と話し合う為に、エルサレム教会に出掛けたのです。

 彼らとこの教会の人々の間に激しい論争が起きたことは、この教会が、律法を守ることによって神に喜ばれ、救われると信じるユダヤ教の体質が残っていたことをはっきりさせています。しかし、人にはそれができないから、神は御子を世に遣わし、信仰によって救われる道を開いたのです。

 神はエルサレム教会が変えられ、あらゆる国の人々が、ただ、主イエスを信じれば救われるという福音を宣べ伝える教会となるようにこの出来事を起こしたのです。主は、必要な時に、必要なことをする方なのです。しかし、この教会が変わる為に行動を起こしたのは、使徒ペテロであり、主イエスの兄弟であるヤコブでした。勿論主が彼らを用いたのですが、彼らが立ち上がり、自分が信じている事を語らなければ、教会は変わらなかったのです。私達の教会も今月第4聖日礼拝後に「教会のビジョンを語る会」を行います。主は、私達の教会が全ての人の救いの為に力強く働く人々の群れになることを願っています。主はその為にこの地に教会を建て、私達をこの教会に召し集めているからです。ペテロは神に、自分の考えとは全く逆の事をしなさいと、命じられた経験を話しました。彼は古いユダヤ教の戒律に縛られていて、異邦人達への神の愛が見えなくなっていたのです。彼はその経験により、神にとって「ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別は」(コロサイ3:11)ないと知りました。神は割礼のあるユダヤ人と割礼のない異邦人とに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によって清めて下さったと知ったのです。

 ヤコブは聖書の言葉を引用して、主が、廃墟と化していたユダヤ教をキリスト体である教会に建て直したのは、異邦人の救いの為であるとエルサレム教会の会衆に言います。私達も教会の将来を考える時、聖書にどう記されているかを求めていく必要があると、改めて知らされます。とは言え、私達は古い会堂が廃墟と化していたから、建て直したのではありません。しかし主は理由があるから、会堂を建て直したのです。それは新しい会堂がこの地の人々の救いの為に必要だからです。私はその時、この教会にいませんでしたが、皆さんは感激、感動してこの新しい会堂を見たのではないでしょうか。勿論小さな部分では足りない所、直さなければならない所はあったと思います。しかし私達が心に留めておかなければならない事は、神が全ての人の救いの為にこの会堂を建て直したことです。この教会のビジョンを考えるのですが、「ビジョン」は将来の構想や展望です。構想は「これから行おうとしていることの実現方法などを考え、骨組みをまとめること」、展望は「物事の見通し」という意味の言葉です。「 これからどうするのか」や「将来どうなっているのか」を考えることだと言えます。

 主は諸教会が異邦人を含め全ての人を救う群れとなる為に、エルサレム教会にビジョンを与えました。そこでペテロは自分が体験した出来事を通して示された御心を語り、ヤコブは聖書の言葉に示されていた御心を語り、教会が変わりました。主は今も、全ての人を救う為に私達に働き掛けています。私達はこの教会に招かれて、様々な出来事を体験しています。礼拝や集会に出席して、沢山の恵みを、御言葉を戴いています。それを思い起こし、言葉にしましょう。一人一人が変わると教会が変わります。私達の心の中を知る主は、私達と教会に変わる切っ掛けを与えてくれています。