メッセージ(大谷孝志師)

主が道を開く
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2018年2月18日
使徒16:6-16  「主が道を開く」  大谷孝志牧師

 パウロは福音を宣べ伝え、多くの人々が救われました。私達も毎週ここで礼拝を守り、毎日、キリスト者、求道者としてこの世に生きる中で、福音を宣べ伝え、一人でも多くの人が救われればよいと思っています。でも、日本の教会は停滞が続いています。伊澤部会長は「内海部会からリバイバルを!!!」とJB一月号で呼び掛けています。「リバイバル運動を起こしましょう」ということです。「リバイバル」は信仰復興・信仰覚醒という意味です。リバイバル運動は、生き生きとした信仰を失っていた教会の信徒が、神への思いを新たにし、活性化されて、教会が使徒達の時代と同じような躍動的な姿へと再生する動きを意味します。リバイバルは人が起こそうと思っても起こせるものではありません。聖霊の働き、導きによって起きるものです。日本でも明治期にリバイバルが起きて、各地に教会が生まれました。第二次世界大戦後にも多くの教会が生まれ、多くの人々がキリスト者になり、私がいた柏伝道所でも毎年信徒が10数名も増えた時があります。私達の信仰生活にも波があるように、教会の歴史にも波があります。

 主は今も、一人でも多くの人が救われるように働き掛けているのですが、リバイバルの波をなかなか起こせないのが現実です。主は内海部会に、この教会にリバイバルを起こそうとしています。それなのに何故起きないのでしょう。イザヤが預言しているように、信徒が世の中の事を見て、色々判断していても、主がここに一緒にいるのが見えないからです。人の話は聞こえていても、主が自分に語り掛けている言葉を聞き取れないからです。

 もちろん人間ですから、家に帰ってから、あの人今日、教会に来ていたっけと考える事はあります。見ている筈なのに、見過ごしてしまっている、見えていなかったのです。また、あの人がそんな話をしたっけと言う時もあります。他の人は聞いていても、自分は自分の考えに夢中になったり、相手に拒否反応を起こしたりすると、聞いてないよと思ってしまうのです。

 私達は、主イエスに対しても同じような事をしています。主イエスに心をしっかり向けること、見えない主に目を注ぐことが必要なのです。15:41と16:5を見ると、パウロが旅を続けながら、諸教会を力づけたことにより、諸教会は信仰を強められ、日毎に人数を増して行ったとあります。彼がこのような働きができたのは、聖霊の働き、導きが有ったからです。諸教会の人々は、自分達を訪れたパウロという人を見ました、彼の話を聞きました。そして信仰が強められました。人間の話を聞いて、御霊なる主に助けられ、彼らは見えない主に目を注ぎ、主の御言葉を心で聞き取ったのです。信仰が強められた人々は、教会の交わりの中に力強く働く主を証し、その主に導かれて世の人々が救われました。教会の人数が増して行きました。今、聖霊は私達が読みとれる聖書の言葉によって語り掛けています。その御言葉をしっかりと聞き取り、聖霊の働きを感じ取ることが大切なのです。

 パウロ達が見えない主にしっかりと目を向けていたので、聖霊の働き掛けを敏感に感じ取れたのだと思います。ですから、アジア州(現在のトルコの西部)に行って御言葉を語ることを禁じられていると知り、別の方面に向かいました。そしてムシヤに面した所に来た時、東のビテニヤの方に行こうとしましたが、またもイエスの御霊が許さなかったので、そこからエーゲ海に面したトロアスに向かったのです。主の御霊がどのように語り掛けたかは聖書に書かれていません。私も高1の時、主イエスに語り掛けられ、主イエスを信じてバプテスマを受ける決心をしました。高3の時、祈祷会で牧師が聖書を読んだ時、光に包まれ、主が私を伝道者に選んでいたことを知らされ、神学部に行く決心をしました。イエスが私に語り掛け、私の人生を大きく転換させました。その声や光がどんなものであったか説明はできません。ただ、それによって私の人生が決定されたことは事実です。

 パウロはトロアス滞在中のある夜、幻を見ました。マケドニヤ人とありますが、人の姿をした御使いと思われます。御使いが人に懇願する様子は違和感が有ります。福音宣教は、聖霊の導きと助けを受けて、人が人に働き掛けるので人の働きが必要だからです。また、御使いが、マケドニヤ人が救いを必要としている現実をパウロに伝える為に、マケドニヤ人となって彼に現れたと考えられます。だから御使いが自分を低くして、彼に懇願したのです。彼はこの「人の幻」を見て、神が自分達を招いて、彼らに福音を宣べ伝えさせるのだと確信し、マケドニヤに出かけます。諸教会の人々がパウロという人の語る福音を聞いて、御心を知り、主と共に生きる決断をしたように、パウロはマケドニヤ人の姿で現れた御使いの言葉を聞いて、神の招きを確信し、行動に移したのです。神は、聖霊により人に働き掛け、人に新たな行動を起こさせ、人々を救いに導きます。そして、歴史を具体的に変えていくのです。ここで大切なことは、彼らが神の招きを確信したことです。彼が体験した事の中に自分達への御心を読み取ったことです。

 パウロ一行はピリピに来ました。そして祈り場があると思われた川岸に行き、集まった女性達に彼らは福音を語りました。神は彼らに、福音を語る場所と聞く人々を既に用意していたのです。そして神を敬う、ルデヤという女性の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにしたのです。

 私達は世の人に福音を語ろうとする時に、自分を見て、臆したり、躊躇する時があります。私達が福音を伝えたいと思う人に出会ったら、それは神が用意した人、そこは神が用意した場所なのです。主が私と一緒にいて、助け導いていると信じることです。主が道を開いて下さるのです。語るべき言葉を教え、救いに導いてくれます。結果を恐れずに主を信じましょう。自分は主が支配する世界に生きていると信じましょう。その信仰を主は喜び、豊かな実りを与えてくれます。主は世の一人一人を愛し、主の愛を知り、主に全てを委ね、主が差し出している豊かな祝福を頂く者となるのを待っています。主の愛と恵みを伝えましょう。主が道を開いていますから。