メッセージ(大谷孝志師)
真に必要な事に気付く
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年3月18日
ルカ19:1-10 「真に必要な事に気付く」 牧師 大谷 孝志

 主イエスが十字架の死が待つエルサレムに向かう途中のエリコの町を通りました。取税人の頭で金持ちのザアカイは主の噂を聞き、どんな人か見たいと真剣に思いました。彼は背が低かったので、群衆に遮られて見えなかったので、先回りして、いちじく桑の木に登って見ようとしました。町に入る前に主は盲人の目を癒しました。彼は周りの人が黙らせようとしても「ダビデの子よ、私を憐れんで下さい」と激しく叫び続け、主に癒して頂きました。ザアカイは木に登って待つくらいですから、真剣さは有りました。でも、興味半分の真剣さだったと思います。しかし、イエスは彼に呼び掛け、救われたのです。彼は背の低さに引け目を感じてはいても、金持ちで欲しいものは手に入れられ、自分は哀れだとは感じていなかったでしょう。でも彼は、先回りして木に登ってまでして、イエスを知りたいと思ったのです。彼の内に自分でも気付かない心の渇きがあったのです。

 私は高1の時、初めて教会に行きました。決して真面目でなく、また、教会に行けば問題が解決できると思っていなかったし、先輩達と信仰論争を半分馬鹿にしながら論争していました。それでも月に何回かは教会に行きました。ザアカイと同じように、自分でも気が付かない心の渇きや満たされないものを感じていたからだと思います。それに教会の人は私がそれまで付き合ってきた人達とは違い、警戒心を感じさせなかったし、不思議に堂々としていたのです。この人達が信じている主イエスがどんな方かを知りたいとも思ったのですが、興味の域を出ませんでした。でも、その私に主が声を掛けて下さり、主を信じ、救われたのです。

 ザアカイも興味半分だったでしょう。しかし主が彼のいる木下に来て、呼び掛けたのです。しかも彼の名を呼んで「ザアカイ。急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしてあるから」と言ったのです。彼の喜びは言葉に表せないくらい大きかったでしょう。財産は有っても、ちびで罪人と蔑まれていながら頑張ってきたのです。周囲の人々の突き刺すような羨望の眼差しを感じながら、心の中でざまあ見ろと叫んでいたのではないでしょうか。しかし、彼はイエスを家に迎えて大きく変わりました。彼はそれまで馬鹿にしていた貧しい人や騙し取っていた人の立場に立てたからです。主に愛されている自分に気付いた時、その人々への暖かい思いが自分の心の中に静かに染み込んできたのです。そして主と共にいることに安心しきっている自分に気付きました。自分の財産に頼るのでなく、神に頼れたのです。貧しい人に財産の半分を施し、騙し取っていた人に四倍にして返す決断をしました。彼は自分に真に必要なものに気付いたのです。

 それ迄の彼は、金の力で思うような生き方が出来ました。しかし何かが欠けていて、それを満たそうとその何かを探し求めても見付からず、不安が解消されなかったのです。永遠の命を得る方法を主に尋ねて、財産を全て売り払って、貧しい人に施してから私に従って来なさいと言われ、悲しげに主のもとを立ち去った人がいましたが、彼は全財産を失うことも厭いませんでした。彼の心が悪から解放され、神に、他の人へと向けられたからです。彼は、主の愛で心が満たされ、自分がしたかった事が分かったのです。主は、私達を縛り付けている力やものから解放する為に十字架に掛かって死んで下さいました。ザアカイのように「主よご覧下さい。私は変わります。こういう生き方をします」と主に言いましょう。主は「良かったですね。自分に真に必要な事を見付けられて」と褒めてくれます。