メッセージ(大谷孝志師)
私の羊を飼いなさい
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年4月1日
ヨハネ21:15-19 「私の羊を飼いなさい」 牧師 大谷 孝志

 主イエスが復活して、昇天するまでの事は、福音書によって書いてあることは様々です。テレビドラマで「真実は一つ」という台詞がありますが、復活後に起きた真実も一つだけです。ではなぜ違いがあるのでしょう。それは復活の出来事が、余りにも人の知恵と理解力を超えた不思議な出来事だからなのです。復活の主と出会った人々が経験した事は、各自が自分の判断で理解するしかありません。誰もが嘘をつこうとは思わなかったでしょう。しかし自分が受けた印象が他人とは違ったとしても、自分ではこれが真実だと確信したのです。もちろん、聖書は聖霊の導きによって書かれました。聖霊は各々の違いをそのまま認めて書かせたのです。復活の主との自分の印象は、百人いれば百通りの違いがあるからです。もう一つの理由があります。それは読む私達が置かれている状況が違うからです。家族や生誕地、学んだ学校、職場、地域によって心に響くものが違うから、必要とする御言葉が違うからです。主は、各々が必要な時に必要な御言葉を頂き、御心を悟れるように、一見違って見える様々な出来事を記者に記させているのです。

 今日の箇所もヨハネにだけ記されている出来事です。主がペテロに三度同じ事を尋ねています。大祭司の家の中庭で、ペテロが三度自分は主イエスの弟子ではないと言ったからです。いくら、自分に危険が迫るとはいえ、大切な主を裏切ったのです。主が前もって言った通りにです。ペテロは取り返しのつかない大きな間違いを犯してしまいました。しかし、そのペテロに主は「私を愛していますか」と三度尋ねたのです。ペテロは「主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と三度答えます。彼はどんな気持ちでこう答えたのでしょうか。彼は自分が愛して止まない主を三度も裏切ったのです。彼は主に「私の為に命を捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度私を知らないと言います」と言われた通りに裏切ってしまったのです。

 私達が信じる主は、私達人間の弱さも罪も全て知った上で、私に従いなさいと言うのです。主は過去の私ではなく、今の私を問題にしてくれるのです。今私を愛しているなら「私の羊を飼いなさい」と彼に大切な務めを与えるのです。取り返しがつかない過去を務めの条件にしない主の愛の深さ、広さを思います。私達も過去の罪によって今の信仰を判断、評価されたら、辛いのではないでしょうか。

 でも主は、どうして三度も今はどうかと尋ねたのでしょう。それは過去が今に繋がり、今が将来に繋がるからです。彼は三度も重ねて言われ、心を痛めました。主は彼の過去をほじくり返して、お前は駄目な人間だったんだと彼を追い詰めたのではありません。今という時に立ち、今をどう生きるかを彼自身に問わせたのです。私達も自分の過去に引きずられて、自分は駄目な人間だからと落ち込むことがあります。しかし主を信じていれば、過去から自由になり、将来の自分に期待できます。主がペテロに「私の羊を飼いなさい」と言ったように、私に出来る務め、為すべき務めを主は示しています。主は私達の全ても知っているのです。

 それだけではありません。主は彼に、彼の死に方を示します。主は彼が自分の死に方によって神の栄光を現すことも知っています。私達はこの世で、山あり谷ありの人生を過ごしています。時に迷い、葛藤し、試行錯誤もします。しかしその全てを主は見ているのです。主は私達をそのままで受け入れ、愛しています。主が与える自分の務めを教会の交わり、働きの中で行いつつ、主に従いましょう。