メッセージ(大谷孝志師)

皆が主の家族に
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2018年5月6日
マルコ3:21-35「皆が主の家族に」  大谷孝志牧師

 主イエスその評判が、主な活動地であるガリラヤ周辺の全域に広まりました。主が病を癒し、悪霊を追放し、権威ある者として教えたからです。主は、神が全人類の救い主として世に遣わした方、神の子として数々の奇跡を行った方です。その主のもとに群衆が助けを求めて集まってきたのは当然です。でも、人々がこのような光景を見て、異常だと思ったのも無理はありません。「イエスはおかしくなった」という噂が立ち、それを聞いた主の家族の者達が、連れ戻そうと思って来たのです。母マリアもいました。彼女はイエスを聖霊によって身ごもり、我が子が神の子で特別な使命を与えられていると知っています。それでも主の家族はイエスを連れ戻そうとしました。聖書はこの事を通して、真の主の家族について私達に教えます。

 主は彼らに、ご自分が悪霊の頭でも悪霊に憑かれてもいないことを譬えで示します。この譬えの「強い者」はサタン、「家財」はサタンに支配され、その所有となっている世の人々です。主が世に来たのは、律法学者の主張と逆で、サタンの力を奪い、世の人々をサタンの支配から解放する為です。ですから、全ての人、つまり人の子らは、主の十字架の贖いにより、主イエスを信じるなら、どんな罪でも赦されるのです。例えそれが神を冒涜した罪であっても赦されると主は言います。なぜかと言えば、世の人が神を冒涜するのは、真の神を知らず、分からないでしているからなのです。ルカ23:34の十字架上での主の執り成しの祈りは、その事を教えています。

 しかし「聖霊を冒涜する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。」聖霊降臨後、聖霊を受けた人々には聖霊が全ての事を教えているからです。主を信じる人は、御霊が内に住む神の神殿となっています。聖霊が聖書や人の言葉を通して、真理を語り掛け、御心を知らせています。だから私達は教会に集い、主イエスを礼拝しています。聖霊の働きと導きによりこれが正しいと知るからです。その事を知りながら、聖霊を冒涜する者は、永遠の罪に定められます。聖霊は今も真理を、神に喜ばれる道を私達に語り掛けています。聖霊の声をどうしたら聞けるのでしょう。聖霊は、私達に語り掛け、必要な事を教えます。しかしある人はその声が聞こえ、ある人は聞きたいと思っても聞けません。私も四十年以上牧師をしていますが、聖霊の声を自覚的に聞いたことはありません。私は、復活の主に語り掛けられ、主イエスを信じて受浸を決意しました。伝道者になることを諦めた後、牧師がヨハネ15:16を読んだ時、光に包まれ、その聖句が神の言葉として私の心に満ち溢れ、伝道者になることを決意しました。聖霊の声は恵みの一つす。、聞けなくても牧師で、キリスト者でいられます。

 ただ注意が必要です。聞こえた声が、悪霊の囁きか聖霊の語り掛けか人には判断できないからです。ですから、「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むように」しましょう。御言葉には力があるからです。

 さて、主に救いを求めて御許に来た病気や悪霊により苦しむ大勢の人がイエスを囲んで座っていました。彼らは主を必要としていました。私達も主を必要として主のもとに来ています。その家の外に、主を捜しに来た主の家族がいました。聖書が主の肉親を登場させたのは、本当の主の家族とは誰かを教える為です。ですから主は、肉親が自分を捜しに来たと知ると、私の母、兄弟とは誰かと言います。主は、マタイ10:37で「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわい者ではありません」と言いました。父や母を愛するなと言うのではありません。また主は10:35で「わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をその姑に逆らわせるために来た」と言いました。主は、比較対照的、相対的選択の結果、人が誰を一番愛しているかと問い掛けているのではありません。人には必ず父と母がいます。父母がいたから今の自分がいます。両親は大切です。主は、両親よりもご自分を愛するよう求めているのではありません。比較対照の結果、主を選ぶのではなく、純真に、イエスが主であるからという理由で、主を愛することを求めているのです。主はここにいる人達が私の母、私の兄弟だと言います。彼らは自分の家族と共にいることより、主と共にいることを選んでそこにいたのではありません。それに、主と共にいることが、自分にとって何より必要だったという選択の結果であったことは確かです。しかし、彼らには、これ以外に選択肢がなかったのです。彼らにとってイエスは主であり、全てを与える方。だから主と共にいのです。それが決定的に重要なのです。

 主は、ご自分の周りにいる人達を見回して、ここに私の家族がいますと言い、更に、神の御心を行う人が、ご自分の兄弟、姉妹、母だと言います。彼らは使徒達のように、宣教し、悪霊を追い出す働きをしていません。自分や他の人が病気に悩み、悪霊に憑かれて苦しんでいるから、助けを求めて主の元に集まって来た人達です。主はこの人達こそが私の家族なのだと言います。主は彼らが主の為に何か良い行いをしたから、主の家族と認めたのではありません。彼らはただ主に頼り、主以外に救いはないと信じて主のもとに来ただけです。それが神の御心なのです。主の家族となるにはそうするだけで良いのです。私達も主の元に来れば、主は私達を受け入れ、ご自分の家族として愛し、祝福して下さいます。教会に連なっている一人一人は肉親ではなくても、ただ主を信じ、主以外に救いはないと信じるという神の御心を行う人、主の家族です。互いに主の家族同士と意識し、認め合い、教会の中に主の家族の豊かな交わりを築き上げて行きましょう。