メッセージ(大谷孝志師)
祈りつつ主の働きを待つ
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年5月6日
使徒1:9-14 「祈りつつ主の働きを待つ」 牧師 大谷 孝志

 今週10日が主の昇天記念日になります。主イエスは復活後、四十日に渡って使徒達に現れ、神の国のことを語りました。主は、彼らが聖霊によるバプテスマを受けると力を受け、地の果てまで、主の証人となると言い、彼らの前で天に上げられました。すると御使いが彼らの側に立ち、主は再臨すると告げました。主がまだ来ていないので、私達は主を見ることは出来ません。しかし主イエスは見えないけれど共にいます。その事が昇天前の出来事に示されています。「四十日」はかなり長い間を意味し、彼らが神の国について正しく知る為には長い期間の教育が必要だったことを示します。「神の国」は使徒達が理解していたものとは全く違う新しいものだったからです。私達も教会に来て、主イエスが十字架に掛かって死んだけれども復活して、今私達を神の国の中に生かしていると知らされました。その神の国は今まで考えていたユートピアのような天国でもなく、死後行く所でもないと言われてもぴんと来ませんでした。高2の4月の復活祭に信仰告白をし、水でバプテスマを受けました。受浸後、礼拝堂の十字架が、それまでとは違った感じに見えました。でも教会の婦人に「バプテスマを受けて変わった」と聞かれ、「分からない」と答えたのを覚えています。自分は今、神の国に生きていると分かる迄、かなりの期間が必要でした。その間、主は様々な出来事を通して、神の国、神の支配について教え続けて下さいました。

 受浸して半年位して、伝道者になりたいと思いました。でもそれは自分で決めることではありませんでした。決心を翻して普通の大学に進むことに決めました。しかしそれから約1年後、主が光と御言葉をもって私を捕らえ、私は神学部に行き、主の証人となる為の学びをすることになりました。そして今、牧師として働いています。これ迄の人生を思うと、どうしてこんな事がと思う時も多々ありましたが、今思うと、主は私の為に計画を立て、その道を歩ませて下さっています。

 主は不思議な方です。私達の全てを知り、導いていて下さるのです。この使徒の働きには、十二使徒の先頭に立って、福音を伝えたペテロ、最初の殉教者ステパノ、異邦人伝道者として立てられたパウロ等の主の弟子達の様々な働きの様子が記されています。しかし彼らの働きの背後には聖霊の指示、守りと導きが有りました。伝道は人がするものです。人の言動によって福音が伝えられていきます。しかし、パウロがローマ10章で言うように、福音を宣べ伝える人がいなければ、誰も福音を聞けないし、信じられず、主の御名を呼び求めて救われないのです。ですから、聖霊が一人一人に働き掛け、主の証人として用いてきました。今や、世界中に福音が宣べ伝えられ、各地に教会が立てられ、礼拝が捧げられています。

 使徒達は、主が昇天したオリーブ山からエルサレムに帰ると、泊まっていた家の屋上に上りました。主が天からまた戻って来るのを待っていたので、天を見上げられる屋上に上ったのです。天にいる主に真っ直ぐに心を向けていたのです。私達にも主は見えません。しかし私達は見えない主の支配する世界に生きているのです。主は天にいて、私達を見ています。手を差し伸べています。使徒達は主の約束が成就し、聖霊のバプテスマを受けるまで、何をしていたでしょう。ぼんやりと何もしないで待っていたのではありません。「彼らは皆、女たちとイエスの母マリア、及びイエスの兄弟たちととともに、いつも心を一つにして祈って」いました。この地域の人々が福音を聞き、主に救われる時が必ず来ます。私達も、皆で心を一つにしてこの地にその時が来るようにと祈りつつ待ち続けましょう。 今週10日が主の昇天記念日になります。主イエスは復活後、四十日に渡って使徒達に現れ、神の国のことを語りました。主は、彼らが聖霊によるバプテスマを受けると力を受け、地の果てまで、主の証人となると言い、彼らの前で天に上げられました。すると御使いが彼らの側に立ち、主は再臨すると告げました。主がまだ来ていないので、私達は主を見ることは出来ません。しかし主イエスは見えないけれど共にいます。その事が昇天前の出来事に示されています。「四十日」はかなり長い間を意味し、彼らが神の国について正しく知る為には長い期間の教育が必要だったことを示します。「神の国」は使徒達が理解していたものとは全く違う新しいものだったからです。私達も教会に来て、主イエスが十字架に掛かって死んだけれども復活して、今私達を神の国の中に生かしていると知らされました。その神の国は今まで考えていたユートピアのような天国でもなく、死後行く所でもないと言われてもぴんと来ませんでした。高2の4月の復活祭に信仰告白をし、水でバプテスマを受けました。受浸後、礼拝堂の十字架が、それまでとは違った感じに見えました。でも教会の婦人に「バプテスマを受けて変わった」と聞かれ、「分からない」と答えたのを覚えています。自分は今、神の国に生きていると分かる迄、かなりの期間が必要でした。その間、主は様々な出来事を通して、神の国、神の支配について教え続けて下さいました。

 受浸して半年位して、伝道者になりたいと思いました。でもそれは自分で決めることではありませんでした。決心を翻して普通の大学に進むことに決めました。しかしそれから約1年後、主が光と御言葉をもって私を捕らえ、私は神学部に行き、主の証人となる為の学びをすることになりました。そして今、牧師として働いています。これ迄の人生を思うと、どうしてこんな事がと思う時も多々ありましたが、今思うと、主は私の為に計画を立て、その道を歩ませて下さっています。

 主は不思議な方です。私達の全てを知り、導いていて下さるのです。この使徒の働きには、十二使徒の先頭に立って、福音を伝えたペテロ、最初の殉教者ステパノ、異邦人伝道者として立てられたパウロ等の主の弟子達の様々な働きの様子が記されています。しかし彼らの働きの背後には聖霊の指示、守りと導きが有りました。伝道は人がするものです。人の言動によって福音が伝えられていきます。しかし、パウロがローマ10章で言うように、福音を宣べ伝える人がいなければ、誰も福音を聞けないし、信じられず、主の御名を呼び求めて救われないのです。ですから、聖霊が一人一人に働き掛け、主の証人として用いてきました。今や、世界中に福音が宣べ伝えられ、各地に教会が立てられ、礼拝が捧げられています。

 使徒達は、主が昇天したオリーブ山からエルサレムに帰ると、泊まっていた家の屋上に上りました。主が天からまた戻って来るのを待っていたので、天を見上げられる屋上に上ったのです。天にいる主に真っ直ぐに心を向けていたのです。私達にも主は見えません。しかし私達は見えない主の支配する世界に生きているのです。主は天にいて、私達を見ています。手を差し伸べています。使徒達は主の約束が成就し、聖霊のバプテスマを受けるまで、何をしていたでしょう。ぼんやりと何もしないで待っていたのではありません。「彼らは皆、女たちとイエスの母マリア、及びイエスの兄弟たちととともに、いつも心を一つにして祈って」いました。この地域の人々が福音を聞き、主に救われる時が必ず来ます。私達も、皆で心を一つにしてこの地にその時が来るようにと祈りつつ待ち続けましょう。