メッセージ(大谷孝志師)

御言葉は実を結ぶ
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2018年5月20日
マルコ 4:14-23「御言葉は実を結ぶ」  大谷孝志牧師

 今日は聖霊降臨記念日です。主イエスが復活して50日目に、主の弟子達が集まっていた時、聖霊が降ったからです。ギリシア語で50番目がペンテコステなのでこの日をペンテコステとも呼びます。この日、聖霊に満たされた彼らが他国の色々な言葉で話し始めました。彼らの言葉を聞いた人々は「あの人達が、私達の言葉で、神の大きな御業を語るのを聞くとは」と当惑し「いったい、これはどうしたことかと言い合ったのです。世界中からエルサレムに集まって来ていた人々が神の大きな御業を聞くという不思議な出来事が起きました。これは歴史の中でたった一度起きた出来事です。この出来事は、教会の宣教によって起きる事を象徴的に表しています。聖霊に満たされるなら、私達が話す福音が相手にとって素晴らしい話として聞こえるのです。さて、突然の出来事に驚き怪しむ人々に、ペテロが他の11人と共に立ち上がり、最初の説教をしました。その説教を聞いた人が悔い改めてバプテスマを受け、三千人程の人々が主の弟子になり、最初の教会が誕生しました。ですから、聖霊降臨記念日は全世界の教会の誕生日と呼ばれています。世界中に福音、御言葉という種が蒔き続けられ、数え切れない程の教会が生まれ、今、聖霊降臨記念日の礼拝を守っています。

 しかし、それから二千年たってもキリスト教徒は世界の1/3、日本では約1%に過ぎません。教会が福音宣教に怠慢でいるからではありません。各教会が各々、またマスコミ等を利用して、福音宣教の働きを続けています。

 今日は、主が話した四種類の土地に蒔かれた種の譬え話を通して、私達は何をしたら良いのか、私達に希望はあるのかを共に学びましょう。種蒔きの譬え話のような結果は、当時の農作業では普通に見られていました。「ある種は道端に落ち、鳥が来て食べ、別の種は土の薄い岩地に落ち、直ぐに芽を出したが、日が昇ると枯れた。また、別の種は茨の中に落ち、芽を出し、育ったが、茨に塞がれ、実を結ばなかった。別の種はよい地に落ち、芽生え育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」農夫に限らず、主も御許に集まっていた群衆も目にしていた光景でした。しかし主は、農作業は困難でも、豊かな収穫を得る希望があると教えるのではありません。御言葉の種を蒔く人々に、自分達の働きについて考えさせるものなのです。

 主は、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言います。これは私達にも言われています。御言葉は、ただ聞くだけでは理解できないからです。私達も、聖書を読み、説教を聞い時に、そういう意味だったのかとハッとした経験のある方もいると思います。聖霊が助け手となり、私達に御言葉の意味を理解させてくれたのです。聞く耳が与えられたので、理解できたのです。

 二千年前、聖霊に満たされた弟子達の話を聞いた人々が、神の御業を理解できたのは、彼らも聖霊に助けられ、聞く耳のある者とされたからです。

 主は、弟子達の求めに応えて譬え話の意味を教えました。種蒔く人によって蒔かれたのは御言葉ですが、今日はこの説明をもう少し分かり易く説明します。「道端に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです」と主が言うように、御言葉を受け取った人々が問題にされています。主の弟子達は聖霊降臨後、福音宣教を始め、御言葉を蒔き始めます。その時に起き、今も起きている事について主は前もって彼らに、今の私達に教えています。

 御言葉を聞いた人達の中には、御言葉が内に留まらない人達がいます。私達も「暖簾に腕押し」と感じる時があります。主はサタンが蒔かれた御言葉を持ち去ってしまうからと言います。宣教は、世を支配するサタンとの戦いです。御言葉をサタンに奪われた人達を、道端に御言葉が蒔かれた人達と言い、彼らに、御言葉は蒔き続けなければならないと主は暗に教えます。他に岩地のような心の人達がいます。彼らは御言葉を聞くと直ぐに喜んで受け入れても、御言葉の為に困難や迫害が起こると躓いてしまう人達です。その人達への対応もサタンとの戦いです。彼らは一時的であっても喜んで受け入れたので、立ち直る可能性があります。躓いたと責めて、彼らから離れるのでなく、彼らがもう一度教会に足を運べるよう、救われるよう、諦めず働き掛ければよい、聖霊が必ず助けると主は暗に教えます。

 もう一つは茨の中のような心の人達です。御言葉が実を結べるまでに成長した人達です。彼らの心に世の心遣いや富の惑わし、様々な欲望が入り込み、実を結ぶのを妨害しています。ですから「それらに負けては駄目なのです。主はその為に十字架で死んだのです」と教えましょう。その人達は御言葉を聞いた時に、神の御心を知り、主の愛の素晴らしさを味わっているのです。それを思い起こさせて上げなさいと主は暗に教えています。

 最後に主は、御言葉を聞いて受け入れる人達が必ずいると教えます。御言葉(複数)が良い地に蒔かれた人達です。聖霊がその人々を助け導き、心を整え、豊かにするからです。そして、30倍、60倍、100倍の実を結びます。しかし聖霊に満たされ、福音を伝え続けた使徒達の働き、その後の歴史を見ても、宣教の働きは順風満帆ではありません。宣教はサタンとの闘いなので、御言葉が風の如く消え去り、芽を出しても成長せず、成長しても実を結べないかもしれない。しかし落胆し諦めるな、私達は聖霊が内に住む、神の宮なのだからと主は教えます。御言葉は隠れているように見えても必ず現れ、覆い隠されていても必ず明らかにされます。人の知恵では想像もできない事です。宣教には労苦が伴います。でも、「今は恵みの時、今は救いの日」と知り、宣教の働きを続けましょう。聖霊が助けて下さいます。