メッセージ(大谷孝志師)
驚くべき事が
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年5月20日
使徒2:1-12 「驚くべき事が」 牧師 大谷 孝志

 今日はペンテコステです。五旬節の日とありますが、これはユダヤ教の祭りで、過越祭から50日目の祭日で、小麦の刈入れの祭り、七週の祭りとも呼ばれ過越祭、仮庵祭と並ぶ三大巡礼祭の一つで多くの巡礼者がエルサレムに集まっていました。

 この日も、使徒達を始め120人程の人々が一つになって、神殿のソロモンの回廊と呼ばれる場所で、主の聖霊降臨の約束の時を待ち、集まっていました。1:14の主の昇天以来、彼らは心を一つにして祈っていました。しかしその日常性が突然破られ、想像を絶する驚くべき事が起きたのです。彼らはその時がいつ来るだろうかと期待しつつ待っていました。主は約束しましたが、ただ待てと言うだけで、いつと期日は指定していないからです。主は、この日と決めて実行したのです。

 こここから私達は大切な事を教えられます。私達は総会で今年度の計画を立てました。私達は主が示した事として受け止め、それを行おうとしています。勿論、祈りつつ日々為すべき事をしつつ待ちます。試行錯誤し、自分達で局面を切り開かなくてはと思う時もあります。しかし聖書は、主は全てを知ると私達に教えます。求めて祈っても願い通りにならない時があります。弟子達にしても主が昇天してから、聖霊降臨の時までの10日間はとても長く感じたのではないでしょうか。いえ、ずっとこのままかも知れないとすら感じられたのではないでしょうか。しかし主は約束を守られる方、私達に何が必要かをご存じなのです。主は私達が求めるものを与える時を既に決めているのです。私達も信じて待てばよいのです。

 主が彼らに聖霊を下されたのは、皆が同じ場所に集まっていた時であり、場所でした。主は「二人か三人が私の名において集まっている所には、わたしもその中にいるのです」と言いました。教会は主の名によって集まる人々の群れです。パウロも「教会はキリストの体であり、全てのものを全てのもので満たす方が満ちておられる所」と言っています。主の弟子達はこの事を自分達の体で感じ取ったのです。皆が集まっていると、天から突然、激しい風が吹いてきたような響きが起こり、彼らが座っていた所全体に響き渡りました。創2:7に「神である主は、その大地の塵で人を形造り、その鼻に息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」とあります。息と風は同じものです。更に、「炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上に留まりました」出エジプトの時、主は雲の柱、火の柱で臨在を示しました。激しい風と炎のような舌は、彼らが聖霊に満たされたことを表しているのです。「言は人となって、私達の間に住まわれた」ように、神がこの世に直接介入する出来事が起きたのです。新しい聖霊の時が始まったのです。

 一同は聖霊に満たされ、劇的に変化します。彼らは御霊が語らせるままに、他国の色々な言葉で話し始めました。この物音に集まってきた大勢の人々は、それぞれ自分の国の言葉で彼らが話すのを聞いて、呆気に取られました。神は、この聖霊降臨という出来事を通して、神が直接この世に来たことを、弟子達が、そして集まってきた人々が見て聞いて分かる形で示したのです。それまでは神と人とは遠く離れた関係にありました。主イエスを通して神の働きを彼らは身近に感じてきました。そして聖霊降臨により、彼らは自分自身の内に神の働きを感じられたのです。アダムが命の息をその鼻に吹き込まれて生きる者となったように、弟子達が神と共に生きる人としての本来の新しい姿に生まれ変わったのです。私達も神の子とされています。聖霊に満たされ、新しい人に生まれ変わりましょう。