メッセージ(大谷孝志師)

恐れず、語り続けよ
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2018年6月10日
使徒18:1-11 「恐れず、語り続けよ」  大谷孝志牧師

 パウロはアテネからコリントに移ります。バルカン半島とペロポネソス半島の間の括れの部分の都市でエーゲ海とイオニア海を結ぶ交通の要所でした。港町で裕福な人々も沢山いました。パウロはそこでローマから退去してきたアキラとプリスキラ夫妻に会います。A.D.52年頃、ユダヤ人達がクレストウスの扇動の元、人心を騒がしたので、クラウディウス帝が全てのユダヤ人をローマから追放したからです。皇帝がそうする程、キリスト者とユダヤ教徒の論争が激しかったのです。それで夫妻はイタリアから自分の家があったコリントに来ていたのです。パウロと夫妻は同じ天幕作りが職業だったので、彼は二人の家に住んで一緒に仕事をしました。ペレアまでパウロと行動を共にしていたシラスとテモテが諸教会からの支援金や物資を持参する迄、彼はその仕事で収入を得て生活していました。そして毎週、安息日毎に、会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人に伝道したのです。

 しかし、シラスとテモテが来ると、彼は御言葉を語ることに専念し、イエスがキリストであることをユダヤ人達に証しました。ここでも、彼は先ずユダヤ人に福音を伝えました。彼らも神が遣わす救い主、キリストの出現を待ち望んでいたからです。その方こそイエスだというのが、彼の福音の内容でした。しかしユダヤ人にとってイエスは自分達の指導者達によって神を冒涜する者として断罪され、十字架という木に掛けて殺された神に呪われた犯罪人でした。到底、神が遣わした救い主とは認められず、激しく反抗しました。パウロは彼らに激しく抗議し、今から異邦人の所に行くと宣言し、会堂を去り、隣のユストという神を敬う人、異邦人ユダヤ教徒の所に行きました。彼が救われたかどうかは聖書に書かれていませんが、彼も救われたと思います。彼が追い出された会堂の司と家族も救われたし、多くのコリント人、異教徒も主イエスを信じ、浸礼を受けたからです。

 彼は1年半の間腰を据えて神の言を教え続けました。エペソでは二年以上なので、三回の伝道旅行の中でも、彼は長い間コリントに留まって伝道したことになります。ここでの働きも決して順調ではない中で、彼はただ福音を伝え続けていきます。彼はこれ迄もユダヤ人から激しい迫害を受けてきました。石打ちの刑で、仮死状態になり町の外に引きずり出された事もありました。この町でも死の危険が彼に迫り、どうすべきかの決断を迫られていたようです。彼はなぜ、ここで一年半も福音を宣べ伝え続けられたのでしょう。主イエスに「恐れず、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたと共にいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町にはわたしの民がたくさんいるのだから」と言われたからです。

 パウロは、一人コリントに来て、同じ信徒の家に住み、一緒に天幕作りをしながら伝道しました。アテネでは毎日伝道していましたが、ここでは安息日だけしていました。コリントは大きな港町で、退廃的で、文化的、精神的豊かさより、物質的豊かさ、欲望を満たすことに心が向いていたので、先ずは安息日に礼拝に集まる人々に伝道していたのかも知れません。しかし「シラスとテモテがマケドニアから下ってくると、パウロはみことばを語ることに専念し、イエスがキリストであることをユダヤ人たちに証し」しました。アテネでは経済的余裕があったが、ここではそれが無くなり、働きながら伝道するしかなく、御言葉を語ることに専念できなかったのです。伝道に専念できるようになると、様々な新しい展開が生じました。

 ユダヤ人達が彼を口汚く罵しりました。それだけ彼は必死になって福音を伝えたのです。自分が伝えなければ、彼らは滅びてしまうと知っていたからです。彼の思いは彼らに届きませんでした。彼の「私には責任が無い」との言葉は、彼らの救いについて彼が責任を感じていたことを示します。ですから、彼は懸命にイエスがあなたがたの救い主ですと伝えたのです。主は共にいて、助け導いていた筈ですが、アテネでは冷たくあしらわれ、コリントでは口汚く罵られました。福音を伝えるのは大変な仕事だと思わされます。しかし主は会堂の隣の家の異邦人を協力者として与えました。ユダヤ人と異邦人ユダヤ教徒が福音に触れる場所を整えたのです。聖書には書かれていませんが、この家が彼の伝道拠点となったことから、ユストも救われたと考えられています。それだけでなく、会堂司のクリスポとその家族も救われ、多くのコリント人も救われたのです。しかし順調に見える伝道の中で、彼は襲われ、危害を加えられるかも知れないと思い、もう伝道をやめたいと思う程追い詰められました。私達も、彼のように危機に直面したとしても、先ず、安心して全てを主に任せましょう。主は全てをご存じだからです。彼の伝道に必要な場と助け手を与え、豊かな実を結ばせました。主は全てを益として下さいます。また、彼に勇気を与えました。黙ってはいけないのです。その町には彼が福音を伝えるのを待つ大勢の人がいるからです。私達の町にも主の民が大勢いる、と聖書は教えています。

 伝道は今まで、パウロを始めとする多くの危機を乗り越えた人々によって続けられてきました。なぜ乗り越えられたのでしょう。乗り越えるだけの宝を戴いていたからです。それは永遠の命です。何ものにも換えられない宝として世の人にも戴いて欲しいと彼らは願っていました。それが「恐れず、語り続けよ。黙っているな」と命じる主の御心でもあったからです。

 主は世の人々が、自分も神の民と知って救われることを望み、私達に「語り続けよ、黙っているな。私があなたと共にいる」と語り掛けています。