メッセージ(大谷孝志師)
水と霊によって生まれた
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年6月10日
ヨハネ3:1-15 「水と霊によって生まれた」 牧師 大谷 孝志

 今夕の聖書は、信仰は知識に因るのではないと私達に教えています。ニコデモという人は1節に「パリサイ派の一人でユダヤ人の議員」、10節に「あなたはイスラエルの教師なのに」とあるので、パリサイ派の律法学者、ユダヤの最高法院の議員でした。この人がイエスに質問する為に訪れたのが、夜と強調されています。彼は人目を憚り、夜の闇に紛れて来たのです。来にくかったからです。主がエルサレム神殿境内の商売人達、売り物の動物達を神殿から追い出すという「宮清め」をし、ユダヤ人達の反感を買っていました。商人達も最初は神殿に来る人の便宜を図る為に商売を始めたのでしょうが、金儲けの為に信仰を使っていたからです。神を礼拝する神殿を商売の場所にしていたので、主が憤ったのが原因です。

 ニコデモは「イスラエルの教師」と呼ばれる程の人物だったので、イエスの言動を見聞きし、ユダヤ教を本来の姿に戻す為に、神が特別に遣わした教師だと見抜いたのです。2節の言葉からは、彼は主イエスに敬意を表しに来ただけの印象を受けます。しかも「私達」と言い、イエスに対して同じような見方をするグループを代表してきたと思われます。彼の言葉には、自分は神についてよく知っているとの思い、自信が溢れています。しかし主は彼の自信を見事に打ち砕きます。

 主の「まことに、まことに、あなたに言います」と「これから言うことは大切な事です」と言って、「あなたは神の国のことを分かったと思っているが、人は、新しく生まれなければ神の国を見ることは出来ませんよ」と主は彼に教えました。新しく生まれるとは、水と霊によって新生することです。水の浸礼を受ける人は、霊の浸礼も受け、神の臨在と力と愛を感じ、神の国を実感出来るようになります。霊が見える訳でも体で感じる訳でもありません。霊の浸礼を受ける人は霊にどっぷり浸かり、新しい人に生まれ変われるのです。これが非常に大切な事なのです。

 しかしニコデモは「新しく生まれなければ」と言われて、「人は…もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか」と答えます。ユダヤ教徒は、人は善い行いを積み上げることによって、神の国に入れると教えられていました。新しい人に生まれ変わるという考えは薄かったのです。主はそのままでよい、天の父は、求める者に善いものを下さると教えました。ユダヤ教徒も勿論神に求め、与えられましたが、神は善い行いをする者に善いものを与えるという信仰でした。それではこの世の知識の延長線上です。主はそうではなく、幼子が父に求めるように、父の愛を、父には与える力と富があると信じて求めればよいと教えました。それは子どもを人並みに扱っていなかったユダヤ人には考えられないことでした。180度の発想の転換が必要でした。ですから主は「人は、水と霊によって生まれなければ神の国に入」れない、御霊によって新しい人として生まれなければ神の国に入ることはできないと彼に教えたのです。新しく生まれるということの意味が、この時の彼は分かりませんでした。しかし19:38,39を見ますと、「以前、夜イエスのところに来たニコデモも」ユダヤ人を恐れずに十字架に掛かって死んだ主の弟子であることを明らかにしています。彼はこの後、自分の知識に因ってではなく、主イエスとの触れ合いの中で、神の子どもに生まれ変わったと思われます。

 イエスが私の救い主だと、知識で納得して世に生きているのではありません。私達は水と霊の浸礼を受け、新しい人に生まれ変わったからです。その事を感謝し、今も私と共にいる主と霊的に触れ合いつつ、この世に生きる者でいましょう。