メッセージ(大谷孝志師)
主は直ぐ近くに
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年7月1日
ピリピ4:4-9 「主は直ぐ近くに」 牧師 大谷 孝志

 私達は、神をどうして信じられたのでしょう。人によって様々です。私には5人の子がいますが、私は高2、長女も高2、長男は高3、次男は小6、愛美は小3、次女はまだです。私は子供達にバプテスマを受けて欲しいと願っていましたが、受けるように勧めた記憶はありません。ただ、礼拝出席を第一にさせていました。高校生になると夜の聖書研究祈祷会にも出席しなければならない雰囲気に持っていきました。クラブもバイトも礼拝に出席できることが前提でした。長女はバイト捜しに苦労し、中学生の次男はそれが理由で顧問から退部するよう言われ、転部しました。しかしそれを通せたのは、それぞれの教会が子供達が行きたくなるような教会であり、良い仲間を神が与えたからと感謝しています。もちろん牧師の子供というプレッシャーがあり、それぞれに闘いはあったと思いますが、神は子供達を教会の交わりの中で、全国青年の集いや部会のキャンプや修養会の中で育て、神と出会う機会を与えて下さり、今、上の四人は千葉と茨城と遠くに住んでいますが、神がそれぞれの人生を意味あるものとして過ごさせています。

 パウロは幼い頃から聖書(旧約)に親しみ、他のユダヤ人と同じように神を信じていました。しかし彼は、イエスがキリスト、救い主であると信じ、教えるキリスト者を、つまり教会を迫害しました。彼は主イエスより一回り程若かったと考えられています。主が神の国の福音を伝えていた時、彼はは25歳前後でしたから、主の話や奇跡にも触れる機会は有ったでしょう。しかし捕らえられ、辱められ、十字架に掛けられて死んだ姿を見て、神に呪われた者にしか思えなかったのです。彼はその後、殉教者ステパノの処刑に立ち会い、素晴らしい証を聞き、確信に満ちた死に様を目撃しました。主は彼の直ぐ近くにいました。しかし彼は主イエスの臨在が分からず、殉教者は妄想に支配されているとしか思えなかったのです、

 その彼が主イエスの為に命を懸けて働く者となったのは、主と出会ったからです。主が彼に語り掛けたのです。彼は主が自分の直ぐ近くにいたと知りました。それにより彼は、イエスが自分の主であり、神の子キリストと受け入れたのです。

 私は見た訳ではありませんが地球が丸いと知っています。テレビで見たからです。想像できますが、それは地球ではありません。事実だと知っているのと、地球そのものを見たのとでは全く違います。見ることが出来たら、その迫力に世界観が変わります。主についても同じ事が言えます。主が私達を愛し、十字架に掛かって死に、復活して今私達と共にいる。それは事実です。私達がどう思おうとも、事実、主は直ぐ近くにいます。しかしその事実を知って姿を心に描いても、それは偶像と同じで、私達の人生には何の力にもなりません。私達の世界に主が来たのです。私達はその主に霊的に会い、主の臨在を信じました。私達の人生は力強く希望に溢れる生き方に大きく変わりました。主が共にいるからこそ、人に語り掛けるように主に話せるし、友達のように愚痴ったり、文句も言えるのです。

 パウロも主が共にいるから、大胆に、いつも変わらない愛をもって人に接することができたのです。そして自分の体験から、自分の心と思いを、主が守ってきたと知っていたから、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすればすべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」と言えたのです。主は私達の直ぐ近くにいます。