メッセージ(大谷孝志師)
形振り構わぬヤコブ
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年7月8日
創世記 28:10-22 「形振り構わぬヤコブ」 牧師 大谷 孝志

 ヤコブは、双子の兄エサウから逃げ、一人旅をしています。彼は、兄が受ける筈だった長子の祝福を、父を騙して奪ったからです。兄は狩猟を得意とし、粗野な性格だったのに対し、弟ヤコブは羊を飼い、家を離れることは少なく、優しさを持ち合わせていました。母リベカは弟を溺愛していました。当時の決まりでは、長子が父の財産全てを受け継ぎ、弟は例え双子でも家人、僕同様に扱われたのです。母は弟に作戦を授け、実行させました。母は彼に、夫イサクの好きな食べ物を作って持って行かせ、首や腕に子山羊の毛皮を巻いて兄に似させ、父を騙して長子の祝福を兄から奪い取らせたのです。母に唆されたとは言え、彼は形振り構わずに行動し、自分が欲しいものを手に入れました。兄は遅れて父の元に来て、私にも祝福をと求めますが、祝福は一つだけと父に言われます。兄は嘆き、怒りますが、どうにもならず、父が死んだら弟を殺そうと心に決めました。ヤコブを殺したい程憎くても、弟も父の愛する子であり、父を悲しませたくなかったからです。母はそれを知り、イサクの許しを得て、ヤコブを親戚のラバンの所に送り出しました。母に守られていた彼の生活は一変し、孤独な旅を続けていたのです。

 ヤコブはある場所にたどり着いたとあります。彼は旅の途中、偶然ここに来ました。しかし聖書は、彼がここに来ることが神の計画であったと暗示しています。彼が野宿し、眠っていると夢を見ました。彼は神の祝福を父から騙し取りました。しかし、考えてみて下さい。祝福するのは神です。神はこの経過を知っています。神は、その夢の中で彼を祝福し、彼を守り、消して捨てないとまで言います。不公平だ、神は正しい方なのにと思います。彼は人を裏切り、憎しみを買い、危機に立たされています。しかし神に対してはどうでしょうか。形振り構わず、神が自分を祝福するよう求めています。神の祝福こそが自分にとって第一だからです。

 それを知るから、神は夢で現れ、彼に語り掛け、祝福を与えました。彼は眠りから覚めて言います。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった」と。これは私達も知らなければならない大切な事です。私達が気付かなくても、神は共にいます。私達のいる所、そこが神が居る場所なのです。

 ヤコブは人の弱みにつけ込み、初めに兄から長子の特権を譲り受け、次に長子の祝福を父から受けました。欲しいものを形振り構わずに手に入れようとする彼に、今迄は、信仰者の模範を見るのは無理だと考えていました。しかし今回、彼が神を信じ、神に祝福を求めたからこそ、神は彼を受け入れ、祝福を与え、全ての人の祝福の源としたと気付かされました。私達は自分の信仰を顧みましょう。「どれだけ神を頼りにしているか。神がして下さらなければ、必要なものを得られないと信じているか」と。彼の必死さは、彼が立てた誓願にもよく現れています。「神が私と共におられて、私が行くこの道を守り、食べるパンと着る衣を下さり、無事に父の家に帰らせて下さるなら、主は私の神となり、…私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」彼は、自分が神に献げるには神の守りが条件だと言うのです。私達は主の守りを条件に献金や奉仕をするのは不信仰と考えます。しかし彼は自分の弱さを知っています。神を自分の自由にできないことも知っているのです。だから、必死に神が自分と共にいて自分を守るよう求めるのです。彼の形振り構わぬ姿を見て、私達は自分達がどれ程真剣に神に頼っているか、神を私の神として仰いでいるか、自分の信仰を顧みましょう。