メッセージ(大谷孝志師)
万事に処する秘訣
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年7月15日
ピリピ4:10-1 「万事に処する秘訣」 牧師 大谷 孝志

 主イエスを信じていれば、常に必要な物で満たされているかというとそうでもありません。パウロはUコリント11章に、彼が遭った数々の苦難を記しています。「飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたことも」とあるように、悲惨な状態の時もありました。しかし彼は、自分の境遇を嘆きません。逆に「誰かが弱くなっている時に、私は弱くならないでしょうか。…もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。」と堂々としています。彼がいつも元気でいられたのは、「どんな境遇にあっても満足することを学び…ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得て」ていたからです。それがキリスト者に与えられる秘訣です。

 パウロはこの秘訣をどのようにして得たのでしょう。「学びました」は文字通り、ある方から学ぶという意味です。彼は、主と寝食を共にして学んだのではありませんが、ペテロ達の元を訪れて学びました。その後も御霊に導かれ、様々な事を学びました。私達も同じように、聖書、礼拝、一人で祈ることを通し、主から様々な事を学んでいます。主が教えは机上の空論ではありません。パウロにとって主は教師であると同時に、素晴らしいお手本でした。彼は主イエスから教えられると共に、主のように生きることを通しておかれた境遇に満足することを学習しました。学ぶのは知識を得るだけでは不十分なのです。実践を通して身に着けることが必要だからです。習うと共に倣うこと、学習と模倣が必要なのです。

 主は弟子達を宣教に派遣する時、何も持たずに旅に出なさい。働く者が食べ物を得るのは当然だからです、と言いました。相手次第の生活です。自分が生活の糧を持っていればある程度は安心できます。何も無しに相手から与えられる物で生きることは厳しいです。しかし主はその経験を通して神に全てを委ね、神に支えられて生きることを学ばせたのです。パウロが手に職を持ちながら、諸教会からの献金で生活したのも、主のように生きることを通して学ぶ為だったのです。

 勿論、パウロの生活は貧しい時ばかりではありません。大切なのは、彼が貧しくてもそれに負けず、豊かでも奢らず、自分を見失わなかったことです。貧しくなると貧しさに気を取られ、神どころではなくなる時があり、豊かになると神により頼むことを忘れる時があります。彼が貧しさにも豊かさにも自分を埋没させず、自分を保てたのは、万事に対処する秘訣を心得ていたからです。それは、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできる」という秘訣です。

 ペテロは「主よ、私に命じて、水の上を歩いてあなたの所に行かせてください」と頼み、主に「来なさい」と言われ水の上を歩いたように、主に強くされるなら、全てが可能です。しかし彼が風と波に気を取られて、主から目を離して沈みかけたように、私達も世の煩いに心を奪われ、主を忘れることがあります。しかし私達の主は、ペテロに直ぐに手を伸ばして助け、共に舟まで歩んだように、思い悩み、悲しみ苦しむ私達を助け、抱きかかえ、時に背負って共に歩んで下さいます。

 人には限界があり、想定外の出来事が起き、耐えられない事に直面すると落ち込みます。だからこの秘訣が必要です。主は私達と共に生きて私達を強くする方です。「あなたがたが、私の名によって何かを私に求めるなら、私がそれをしてあげます」と主は言います。どんな状況の中でも自分が歩むべき道を見つけ出せ、将来に希望を持ち、全てが可能だと信じられる秘訣を与えようと働き掛けています。この秘訣を授かり、主の御心に任せ、今を元気に生きる者になりましょう。