メッセージ(大谷孝志師)
祝福の源になろう
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年7月22日
創世記12:1-9 「祝福の源になろう」 牧師 大谷 孝志

 アブラムはユーフラテス川の上流のハランで大きな財産を築きました。しかし、75歳になった時、突然神から「安定した生活の場を捨てて、私が示す地に行きなさい」と命令されます。彼は主の言葉に従って、行き先を知らずに旅立ちます。彼の一族は農耕・定住民族ではなく、牧畜・移動民族でした。草場、水場を巡り、闘いになることもありました。多くの家畜等を養える場所は限られ、安住の地を捨てて、未知の場所に向かって移動するのは、一族全体を危険に曝す行為でした。

 彼が神を良く知っていたから決断できたのではありません。むしろ逆でした。彼は神をはっきりと知っていません。神は、彼を祝福の源とする為に選び出したのです。この後、彼は様々な経験をしながら、それに相応しくなっていきます。彼は神が行きなさいと命じた所に、先ず飛び込んでいったのです。先ず御言葉に従ったのです。私達が主を信じる場合でも同じです。私も神のこと、主イエスのことが分かりたいから、神に全てを任せようと思いました。クリスチャンになってからも、聖書の何処に何が書いてあるか殆ど知らず、神学部を受けましたが、聖書の試験は散々でした。でも主が私の信仰を受け入れてくれたのです。私はクリスチャンになる決心をした時から、主イエスと一緒にいると思うと安心でき、嬉しかったのです。そして、主の為に自分にできることをしたいと思っていました。それで伝道者になりたいと思い、神の世界に飛び込み、旅立ったのです。そして神が支配する世界に生き、アブラ(ハ)ムが受けた祝福に私も与っています。

 アブラハムが御言葉に従って旅立ったことにより、豊かな祝福を受け、私を始め多くの人々が彼を通して祝福を受けています。彼が幸せになることにより、多くの人々が幸せになれたのです。しかし始めに言いましたように、神の全てが分かっていたから第一歩を踏み出せたのではありません。人には神のほんの一部も知ることはできません。人間同士でもそうですが、お互いに相手の心中を推測し、思い込み、決断します。ですから当然の事、賭けになります。しかし神の場合は、私達の方では分からなくても、神は私達の全てを知ると信じることができます。彼もそうだから、御言葉に従って旅立ったのです。信仰は賭けではありません。神と一緒にいたい、神に喜ばれる者でいたいと願い、自分を神に任せることです。

 しかし彼は、ただ神を全てを任せられる方と信じたから旅立てたのでしょうか。彼はハランで豊かな財産を築いていました。しかし無いものがありました。子が無かったのです。実はここに全ての人に共通して存在する現実が象徴的に示されているのです。このままでは将来に希望が持てないという現実です。私達も世に生きていると、このままではどうにもならない現実に直面する時があります。彼はこの現実から抜け出す為に、神の言葉に従ったのです。神が支配する世界、神の国に飛び込んだのです。彼が神が示す地に着くと、神は「あなたの子孫にこの土地を与える」と言います。子が孫が生まれる約束を神は彼に与えたのです。彼は神の言葉に従い、豊かな祝福を与えられ、全ての人の祝福の源になりました。

 世に生きている私達は、想定外の事柄に直面すると、動揺したり、失望したりします。御言葉に従い、豊かな祝福を受けたアブラハムを思い起こしましょう。御言葉に従うとは、神が支配する世界に飛び込むことです。私達がそうするなら、私達も豊かな祝福を受けられます。私達の周囲の人々に、主に従うなら、豊かな祝福を受けられると知らせることができます。私達も祝福の源になれるのです。