メッセージ(大谷孝志師)
子供がいるって素晴らしい
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年7月29日
マルコ10:13-16 「子供がいるって素晴らしい」 牧師 大谷 孝志

 私が高校一年の時、誘われて始めて教会学校のクリスマス会に出席しました。会場は町内会の広い集会所でした。60人ほどの小中学生が集まって、皆で楽しそうに劇をしたり、歌を歌っていました。牧師先生の話もあったのでしょうが覚えていません。それから4ヶ月でバプテスマを受け、その二週間後にはCSの教師になりました。小学生の頃は東京の下町で近所の子供達と遊んでいましたから、子供は大好きでした。その年度は助手、高3になると担任になり、子供達を家に呼んで遊んだり、クリスマスには合奏したりしました。子供達がいることはとても素晴らしいことです。子供達を見ていると将来の教会の姿を想像できるからです。彼らこそが教会の希望だと言えるからです。しかし大人の中には自由気ままに行動する子供達にイライラさせられたり、眉をひそめる人もいました。主のお弟子さん達もそうでした。イエス様の所に子供を連れてきた人達を叱ったのです。

 しかし主イエスは弟子達に「子供達を私の所に来させなさい。邪魔をしてはいけません」と言いました。主は子供達をそのまま受け入れ祝福したのです。子供は弱いです。新生児は外に放置されたら死にます。乳幼児には保護する人が常に側にいます。親は保護者ですが、子の所有者ではありません。米国で残された子が不憫だと子供を道連れに心中し、自分だけが生き残った母親が第一級殺人罪で起訴されました。これに関して、日本では子は親の所有物のように考えるが、米国では子供を神から預かっていると考えるのが主流だという記事がありました。これは大切な事です。親は子を自分とは違う、独立した人格を持つ一人の人間と捉えていることが大切なのです。とは言え、自分の子が幸せになって欲しいと親なら考えます。主の所に子供を連れ来た人達も、そんな親心から連れて来たのでしょうが、弟子達は叱りつけました。その弟子達に主は憤りました。自分達の都合だけを考えて勝手な事をするなと怒ったのでしょうか。そうではなく、主は子供達が自分達と一緒にいる素晴らしさに彼らが気付かないことが悲しかったのです。

 主は「神の国はこのような者たちのものなのです」と言いました。弟子達も神の国に入れることを願って、イエスと生活を共にしていました。イエスと一緒にいる事が神の国はいる資格を得る最も有力な方法と信じていたからです。そして何もかも捨てて主に従っていました。しかしそれ以上のもっと良いお手本が有ったのです。それが子供達でした。弟子達はとても驚いたと思います。神の国は、自分達が何の役にも立たないと思っていた子供達のものだと言われたのですから。確かに子供達は大人にとって教育の対象です。教え育てる責任が大人に有ります。しかし「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」との諺もあるように大人も子供からも教えられることがあります。子供は親の愛情無しに生きるのは困難です。小さい時ほど親の命令は絶対です。主は、子供が親に従うように、神に従うことを求めているのです。自分にはそれしか道がないことを知って神に従う、そのような人こそ、神の国に入れる人なのです。子が親に頼るしかないように、神にしか頼れる方がいないと知り、神に求めればよいのです。何か良い事をしたから、できるから神の国に入れるのではなく、求めるなら祝福され、神の国に入れます。

 子供がいるなら、無心に求める姿を見ることができます。大人はそのように神に求めればよいと主は私達に教えています。ですから私達の内に子供がいるって素晴らしいのです。私達も子供達と一緒に成長する教会を目指していきましょう。