メッセージ(大谷孝志師)
助けを必要とする人に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年8月5日
ルカ5:27-32 「助けを必要とする人に」 牧師 大谷 孝志

 主イエスは収税所に座っていたレビという取税人に「私に付いて来なさい」と言いました。すると彼は全てを捨てて立ち上がり、主に従いました。11節でも、ペテロ達が全てを捨ててイエスに従っています。ユダヤ教では巡回教師と言って町や村を廻りながら、人々に神について教える教師がいました。人々は仕事を辞め、その先生や他の弟子達と一緒に生活する道を選びました。主イエスは巡回教師の中でも目立った存在でした。だからではありません。直ぐに、全てを捨てても付いて行きたいものを感じたからです。レビは全てを捨てても、無一文になったのではありません。彼は自分の家と財産をイエスに盛大なもてなしをする為に差し出しています。取税人は社会の中で爪弾きされていました。彼は取税人として働いていたから、収入は十分にありました。しかしそれだけでは自分は生きているとは思えなかったのです。自分が生き生きと生きられる道を見付ける為の助けが必要でした。主はその彼に声を掛け、弟子にしました。彼自身に新しい人生、生き方を見出させる為です。主は今も、助けを必要とする人に声を掛けています。

 彼の家には、取税人や罪人達が大勢来て、イエスと一緒に喜んで飲み食いしています。レビはこのような心広く優しいイエスと一緒にいられる自分を見て、自分も感動し喜んでいます。イエスは彼らのことを良く知っていました。彼らが自分と一緒にいることが必要だから、自分の助けが必要だから、彼らと飲み食いすることに何の抵抗も感じないばかりか、むしろ積極的に、喜んで彼らと一緒にいたのです。しかし、そこにいたパリサイ人達には理解出ませんでした。イエスが取税人や罪人達と一緒に飲み食いするのはおかしいと文句を言い始めたのです。

 私達の教会の周囲に、皆さんの住む地域にも、満たされないものを感じ、助けを必要としている人がいるのではないでしょうか。当時、取税人や罪人と呼ばれていた人達は、普通に社会で生活している人達から仲間外れにされていました。皆と仲良く一緒に暮らしたいと思っても駄目でした。でもイエスが自分達の仲間になり、一緒に飲み食いしてくれているのです。助けるというのは、必要なものを上げることではありません。上から手を差し伸べるのではなく、心を寄り添わせることです。私とあなたは同じ仲間だと知らせることです。それが一番嬉しいことです。自分の家で、大勢の取税人や罪人達が主イエスと一緒に飲み食いするのを見て一番喜んだのは彼自身だったと思います。彼自身が皆と仲良く暮らしたいと思っていました。でもできませんでした。その自分をイエスが助けてくれたのです。それだけでなく、自分と同じような思いの中で苦しんでいる人が喜んでいる様子を見ているのです。自分の家と財産が彼らの役に立っているのです。それまではお金が自分と友達を結びつけていたでしょう。でも、今この家では、心がお互いを結び付けているのです。彼にとってこんなに嬉しいことはありません。

 主は私達に目を留め、「私に付いてきなさい」と招いています。レビは全てを捨ててイエスに従いました。それにより、彼は大きな喜びを味わえました。助けを必要とする人々が主に助けられる機会を提供できたからです。自分が主に招かれた喜びも大きかったでしょうが、それ以上に人々が喜んでいるからです。主に従う時、私達は皆が同じ仲間と実感できるのです。人は一人では生きられません。心を寄り添い合い、助け合える仲間が必要です。主に従うなら、主はそのような仲間を与えます。主は私達が互いに助けを必要としていると知っているからです。