メッセージ(大谷孝志師)
御言葉に聞き従おうか
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年8月19日
創世記22:1-18 「御言葉に聞き従おう」 牧師 大谷 孝志

 今日の御言葉は、神を信じるとはどういう事かを私達に教えます。アブラハムは神に、愛するひとり子イサクを全焼のささげ物として献げよと命じられました。愛する子の死、考えただけでぞっとします。ましてその子を殺せと命じられたのです。彼は激しく動揺したと思います。しかし、彼は「何故ですか」との叫びも、呻きもしません。黙々と準備し、出発します。三日目、目的地が遠くに見えた場所で、彼は初めて言葉を発します。彼は「私と息子は…戻って来る」と言います。息子を殺せと言われたのにです。イサクに、全焼の献げ物にする羊は何処にいるのかと聞かれ、「神ご自身が…備えて下さる」と答えます。しかし、命じられた場所に着くと息子を屠ろうとします。そこには少しの躊躇も感じられません。彼は、イサクとその後の子孫の為に永遠の契約を立てた神を信じ切っているのです。

 旧約聖書には、主なる神が直接人々に語り掛けた事が数多く記されています。アブラハム、イサク、ヤコブに、モーセ、ヨシュアらイスラエル民族の指導者達に、更に、王や預言者に御心を直接示して、人々を導き続けました。新約聖書の時代は。御子主イエスを通して御心を人々に示し、初代教会の中の選ばれた人々に御霊により御心を示しました。パウロには復活の主自身が語り掛けています。

 今は、主はどのように語り掛けているのでしょうか。旧約・新約聖書を通して語り掛けています。神は霊ですから、聖書を読む時、聖句を思い起こす時、神が私達に語り掛けていると気付きましょう。神は力有る方です。私達を守り常に心に掛けています。純真、純粋な思いで心に響く御言葉を聞き取りましょう。神が、私はこうなると言っていると感じたらその通りになると信じ、こうしなさいと言っていると感じたらその通りにしましょう。それが御言葉に聞き従うことです。

 アブラハムは黙々と神の言葉に従いました。しかし心の中では、神は何故イサクを殺せと言うのか、神は真実な方で約束を守る方だから、イサクを殺させるはずはない、主は何を望み、何を示そうとしているのかと葛藤しながら、モリヤの地に向かったのではないでしょうか。私達も神を信じて、聖書を読み、祈っていても、葛藤し、悩んだり、落ち込んだりすることは多いのではないでしょうか。

 1節に「神がアブラハムを試練にあわせた」とあります。何故神は、彼を過酷な試練に遭わせたのでしょう。神は人に神に従うことを求めます。同時に神は人に自由を与えています。服従と自由は一見、相反するものに思えます。しかし神は、神に従うことは、人が自由なのはどういうことかを、彼が遭った試練を通して私達に教えているのです。聖書を読んでいると厳しい言葉に会い、そこ迄はできないと思う時があります。しかしアブラハムは、非常に厳しい命令に、御言葉だからと黙々と従いました。聖書は、神を信じるとは、神を第一にするとはこういうことだと、アブラハムの決断と行動により、私達に語り掛けているのです。

 聖書の言葉が私達への神の命令として霊的に響いたら、それに従いましょう。神は御言葉に聞き従う者を祝福します。神は、アブラハムに私が示す地に行きなさいと命じ、彼が行き先を知らずにハランを出た時から、刃物を取り、イサクを屠ろうとした時まで、共にいて必要なものを備え、与えています。神が御言葉を私達に示すのは、それが必要だからです、祝福を受けるに相応しくなるのは、平安に満たされるのは、私達に善いことだからなのです。御言葉に聞き従い、神を私の神と信じ、神を第一として生き、神の祝福を豊かに受ける人になりましょう。