メッセージ(大谷孝志師)
一番大切なことは
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年8月26日
マルコ10:17-31 「一番大切なことは」 牧師 大谷 孝志

 私達は自分にとって何が一番必要だと思っているでしょうか。「命あっての物種」という諺が有ります。英語訳は「While there is life, there is hope」また、「死んで花実が咲くものか」という諺もあります。どんな事でも、命があるから出来ます。死んだらお終いだからです。今日の箇所では、ある人がイエスに「良い先生。永遠の命を受け継ぐ為には何をしたらよいでしょうか」と尋ねました。私達も死んだらお終いと言いながらも、死後どうなるのかを考えたことはあると思います。この人にとっては、神に喜ばれる者になり、死後永遠の命を頂いて神の国で生きられるかどうかが大問題だったのです。肉体は死んでも自分という人間が永遠に失われずに存在でき、あらゆる苦労や悲哀を感ぜずに生きられることは、彼にとって何ものにも換えられない、一番大切なものだったのです。彼はあの世で幸せに生きる為に、この世でどう生きたらよいのかとイエスに尋ねに来たのです。彼にとってこの世の生き方とあの世での生き方が直結しています。私達はこの世で幸せに生きる為に、この世で努力精進しますが、死後についてはそれ程真剣に考えないのではないでしょうか。しかし聖書は死後の自分を大切にすることが、この世での自分を大切にすることだと教えているのです。何故なら、その生き方こそ、神を大切にする生き方であり、神に喜ばれる生き方になるからです。

 ユダヤ教では神に喜ばれる生き方をしたければ、神が定めた「掟」を守れと教えました。彼は永遠の命は神が与えるものだと知ってはいても、資格を得るには自分の努力の積み重ねが必要だと思っていました。この人は誠心誠意掟を守っていました。彼は真面目で不器用な人間だったのだと思います。本当にこれだけで良いのか、大切な何かが抜けてはいないかと思うと不安で堪らなかったのです。その彼に、主は神が人に求めるのは、掟を完璧に守ることではないと教えました。

 主は、あなたに欠けていることが一つある。持ち物を全て売り払って、貧しい人に与え、その上で、私に従って来なさいと言いました。これが彼にとって、無くてはならない一番大切なもの、永遠の命を得る為に必要なことだったからです。彼はそれを聞いて悲しみながら立ち去りました。今の生活を捨てられなかったのです。私達も無一物になって主に従えるでしょうか。今の生活の中で最善を尽くせばよいと考えていないでしょうか。神が求めるのは、ただ神のみに頼り、神のみを見つめて生きることなのです。主は彼に発想の逆転を求めたのです。彼にとって神は私の為の神、家族の為の神、将来を保証する財産を保護する神でした。主は、神の為の私、神の為の家族、神の為の財産になるようにすれば、あなたは永遠の命を与えられますと教えたのです。弟子達もこの人と同様にイエスの言葉を正しく理解できませんでした。自分の人生はまだ自分の為の人生だったのです。

 主イエスを信じていても、主に従ってはいないのです。従うとは、その人の求めるように行動すること、自分の意志よりその人の意志を優先させることです。主に従うとは、自分の為の人生から、主の為の人生に変えることです。主に従うなら、主は十字架の愛をもって私達を覆い、包み込んでくれます。主が全ての持ち物を売り払ってと言ったのは、主に従って生きるなら、そんなものは要らないからです。主は私達に必要なものを全て知り、与える方だからです。一番大切なことは、自分を自分のものではなく、主のものとすることです。安心して全てを主に委ねて主に従うことです。主は両手一杯の愛をもって迎え入れてくれます。