メッセージ(大谷孝志師)
現状は主の御心
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年9月9日
創世記26:17-33 「現状は主の御心」 牧師 大谷 孝志

 周りの人を見ると、押しの強い人,押しの弱い人がいます。自分の考えを強引に主張する人もいれば、相手の考えを黙って受け入れる人もいます。今日はイサクの話ですが、イサクの子のヤコブは押しの強い人で、欲しいものは何でも手に入れようとしました。しかしお父さんのイサクは今日の箇所のように争いを避ける人でした。親子でも性格は正反対でした。でもイサクはお父さんのアブラハムと同じような事をしています。アブラハムは主に私が示す地に行きなさいとカナン人の地に行きました。イサクも飢饉になった時、主に私が告げる地に住みなさいと言われ、ペリシテ人の地に行き、そこに住みました。アブラハムも飢饉の為エジプトに移住しました。彼らは共に命惜しさに妻を妹と偽りました。彼らの嘘によってそれぞれが住んだ土地の王に迷惑を掛けましたが、王は民に彼らの保護を命じました。主は彼らを祝福し、財産を殖やし、大いなる民族にしました。主は自分の民として選んだ者を行いによらず、ただ一方的恵みによって祝福を与えます。それが私達が信じ、従う主です。とは言え、主に選ばれた人は何をしても良いのではなく、主は自分の意志に反した事をした人々を容赦なく殺します。主は完全に自由な方であり、何ものにも制約されない方なのです。パウロもローマ9:15で主は「憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」、「人を御心のままに憐れみ、また御心のままに頑なにされるのです」と言っています。

 イサクは、主に祝福され、非常に裕福になりますが、ペリシテ人は彼を嫉み、彼が使う井戸を全て使用不能にしました。王は紛争の危機を感じ、彼に出て行って欲しいと言います。彼はそこを去り、別の所で井戸を掘り返し、使用可能にします。彼の僕達が湧き水の井戸を見付けるとペリシテ人の羊飼い達がこの水は自分達のものだと言って争います。イサクの僕達はそこを去り、もう一つの井戸を掘ります。そこも相手が争いました。彼らはそこから移って別の井戸を掘ります。井戸を掘るのは大変な労力を要します。しかし僕達は、イサクの指示を受け、争わず、そこを捨て、別な所に移ります。当時は水脈を見付ける技術はなく、当ての無い作業です。なぜできたのでしょうか。主が自分達を守り、その作業を祝福し、水の出る井戸を与えると信じたからです。多くの羊や牛の群れを飼うのに十分な水と草が豊かな土地を去っても、主が別の豊かな土地を与えると信じたからです。イサクがもう一つの井戸を掘ると相手は争いませんでした。彼は、主が自分達に広い場所を与え、この地で私達が増えるようにされたと神に感謝しました。

 彼はそこからベエル・シェバに上ると主が彼に現れ、祝福を約束します。イサクはそこに天幕を張り、定住します。ペリシテ人の王が来て、盟約を結び、イサクは平和にそこで生活できるようになりました。しかし彼はかつて、主の祝福を信じ切れずに妻を妹と偽って、王を騙す過ちを犯しました。しかし主は全く問題にしていません。主は彼の弱さを含めて彼を祝福し、大いなる民としました。だから彼は、先の事を全て主に委ね、為すべき事に全力を尽くし、しかも安心して行えました。でも、彼にも恐れや不安が有ったことが、ベエル・シェバで現れた主の言葉、「恐れてはならない。私があなたと共にいるからだ」に表れています。私達も現状に、将来に不安を感じる時があります。彼が全ての事を主の御心と信じ、主がさせると信じて行ったように、聖書は、黙々と自分が為すべき事を行えば良いと教えます。全ては私達を愛する主の御心によると信じれば良いからです。