メッセージ(大谷孝志師)
自分を変えて頂く
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年9月16日
ローマ12:1-2 「自分を変えて頂く」 牧師 大谷 孝志

 パウロは、ローマにいるキリスト者達が信仰について正しく理解し、成長できるよう祈りつつこの手紙を書いています。今日の箇所で彼は、イエス・キリストを信じる者はどのように生きるべきかを、適切かつ簡潔に教えています。

 私達は聖書を読むと、こんな事までしなければいけないのかと思う時があります。確かに聖書は厳しい事を私達に命じます。それは、父なる神が私達人間を良く知っているからです。反対に私達人間は神のことを殆ど分かっていません。先輩のある牧師が、イエスの山上の説教で、主がしなさいと言う事を完全に行えるかと言ったら、私は無理ですとしか言えません」と言っていました。私自身も同じ気持ちです。だからこそ、聖書が私達に与えられているのです。分からないとあきらめたままでは、本当の意味で神に喜ばれる人になれないからです。神は、私達が正しい信仰の持ち主になり、神に喜ばれる生き方ができるようになるのを望んでいます。なぜかと言うと、それが神が私達を創造した目的だからです。

 パウロはキリスト者としてこういう生き方をしなさいと勧める前に「私は神の憐れみによって、あなたがたに勧めます」と言います。彼がこれから言う事も私達人間の力だけでは出来ないからです。神が私達を憐れんで、私達を正しい礼拝ができる人にしなければ、私達には「自分のからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げる」という私達に相応しい礼拝ができないからです。

 それに、私達が今礼拝しているのも、御言葉を必要としている私達を神が憐れんでこの礼拝に招いたからです。神は私達に必要なものを知っています。それと共に、弱さも知っています。私達は自分のからだは自分のものと考え、大事にします。でも、自分の体を自分のものと考えている内は、神に喜ばれる生き方はできません。サタンは、私達を何とかして神から引き離したいのです。その機会を狙っています。神に私の体を献げればサタンの誘惑をはね除けられます。献げたら自分が無くなるのではありません。自分が神のものになるだけで、自分を縛り付けている様々な欲求から自分が解放され、自由になれます。その欲求はどこから生まれるかというと、この世と調子を合わせようとする心から生まれます。なぜ、この世と調子を合わせたくなるのでしょう。私達は、周りと一緒の行動をすると安心できます。<隣の芝生は青い>という諺も、周りと同じでないと駄目だという気持ちの裏返しです。パウロは周りに引きずられる生き方をしていると本当の自分を見失ってしまうから、気を付けなさいと注意しているのです。その為には、神にお願いしなければなりませんが、その前に「心を新たにする」よう勧めます。自分がその気になることが大切だからです。その上で、神に自分を変えて頂くようお願いすることを勧めます。「そうすれば、神の御心は何か。すなわち何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるかを見分けるように」なれるからです。

 誰も自分は大切です。もし今の自分に満足していないとしたら、不満があるというより成長したいという向上心があるからだと思います。本当に自分が大切ならば、神に新しい自分に変えて頂きましょう。今迄の自分にはどうにもできなかった弱さを克服できます。パウロも、したいと願う善を行わず、したくない悪を行う自分を「本当に惨めな人間(ロマ7:24)」と言います。しかし彼は主によって救い出され、神に感謝しています。十字架で死んで、復活した主によって、私達も救い出されています。神に真剣にお願いしましょう。願えば必ず変えて頂けます。