メッセージ(大谷孝志師)
人生 土台が大切
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年10月21日
ルカ6:46-49 「人生 土台が大切」 牧師 大谷 孝志

主イエスの家と土台についての喩え話です。主は父が早くに亡くなったので、大工をしながら母と弟妹を養っていたと考えられています。この話は、主の得意ネタの一つだったかもしれません。主の言葉を聞いても実行しない人が、土台無しで地面に家を建てた人に喩えられています。このような建物を「砂上の楼閣」と呼びます。私達が聖書を読み、御言葉を心に蓄えていても、生活の中で実行しないとしたら、その人の人生は、砂上の楼閣に過ぎないことになってしまいます。

 私達は、イエスの言葉を聞いて行うことを生活の土台にしているでしょうか。聖書を読んで御言葉に心を打たれたり、こんな生き方をしてみたいと思っても、実際に行うのは無理だと思ってしまうことはないでしょうか。人生はいつも願い通り、思い通りになるとは限らないからです。いや、そうならない方が多いと言えます。パウロは「私達は四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」とUコリント4:8,9で言っています。彼は一生懸命に主の為に働きました。しかし、順風満帆の時だけではありませんでした。四方から苦しめられ、途方に暮れることも、迫害され、倒されることがあったのです。しかし、彼はどんなに深刻なものであろうと、自分を襲う挫折感に負けませんでした。彼が人生の嵐にも洪水にも耐えられたのは、主の御言葉を聞いて行うという「人生の土台」をしっかりと据えていたからです。

 私達もそうですが、相手にこうして欲しいと思って話すことがあります。当たりまえですが、相手にして欲しいと思うから、そうすることが正しいと気付いて欲しいと思うから話すのです。相手に変化を求めるからであって、どうでも良いと思っていたら話さないと思います。主の教えと癒しを求めて人々が集まっています。主は、彼らが自分の人生を変えようとすることを願い、彼らに話し掛けています。

 この教会も朝と夕方に主を礼拝しています。私達は何の為に会堂に集まるのでしょうか。礼拝の中で自分に語り掛けられている主の御言葉を聞く為です。私達も主に自分を変えて頂く為に礼拝しているのです。主は私達に今必要な事を一生懸命に語り掛けています。主はただ聞いて欲しいから語り掛けているのではありません。聞いて行う者になって欲しいから、語り掛けています。私達が神に喜ばれる者になって欲しい、変わって欲しいから、主は今も語り掛けているのです。

 私達が、聖書を読む時は聖書の言葉を、祈っている時は心に響いた言葉を、説教を聞いている時は説教者の言葉を、主の御言葉として聞くことが大切なのです。とても難しいかもしれません。人の言葉は人の言葉であって、主の言葉ではないからです。弟子達や側にいた大群衆は、主の言葉を、主の言葉として聞きました。しかし彼らにとっても、主の言葉を行うのはとても難しかったようです。素晴らしい主の言葉でも、人の言葉は人の言葉としか受け取れなかったからです。しかし、御言葉は聞いて行わなければ、その人の人生は変わりません。その人が変わらなければ、世の人々も変われません。主は、全ての人が神の愛を知って幸いになって欲しいのです。元気よく、前向きに生きて欲しいのです。その為に御子を世に与えたからです。人を変える力が御言葉には秘められています。しかし、私達が聞いて行わなければその力は発揮されません。神の愛と恵みが私達を通してこの世に満ち溢れるように、一人一人が御言葉を聞いて行う人になりましょう。