メッセージ(大谷孝志師)
主のように生きられます
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年10月28日
マタイ21:12-17 「主のように生きられます」 牧師 大谷 孝志

 今日の箇所は受難週に起きた出来事です。エルサレム神殿が祈りの家でなくなり、「強盗」と言っても神殿で商売し儲けている人々ですが、強盗の巣になっていることを嘆いた主が、商売人達を追い出したのです。聖書は私達の心がこの神殿のような状態ではないかと問い掛けています。私達の心が神に向いているようで、実はこの世で生きる為に必要なものに心が向いていないかと問い掛けています。

 何故エルサレムに神殿があったのでしょう。ユダヤ人は大きな祭りがあると、エルサレムに来て、神殿で礼拝しました。勿論、自分のいる地域には会堂があり、普段はそこで礼拝していましたが、神殿に行くという大きな犠牲を払うことによって、自分の神様に向かう思いを心に刻み込ませていたのだと思います。今私達は、教会堂に来て主を礼拝しています。しかし、教会堂以外でも私達は、聖書を読み、主に祈れます。何故教会堂に来て主を礼拝するのでしょうか。一人だと寂しい、同じ信仰の友達と一緒に礼拝すると安心するからでしょうか。一人で礼拝していても、心を主にしっかりと向けることはできます。でも、教会堂に来る時に私達は世の中の何かを犠牲にして来ているのではないでしょうか。家にいる時は自分の生活の流れの方を大事にしていないでしょうか。友達などから電話が掛かってきたら、また来客があれば、そちらの対応を優先していないでしょうか。私は、教会に来る時は携帯はマナーモードにしています。電話が掛かってきても出ないで、後でこちらから掛けます。神との関わりを最優先にします、世の人々もそれは認めてくれます。イエスが神殿から商売人達を追い出しました。私達もこの会堂に入ったら、主から目を離さずに、一心に主を見つめましょう。私達の心には、神の事を思わないで人の事を思わせるサタンの力が働きます。サタンはこの世の事に私達の目を向けさせ、世の事で心を満たさせ、主への思いが入る余地がないようにします。サタンは私達を神のものでなく、自分達のものにしたいのです。神の支配領域から、自分達の支配領域に引きずり込もうとしています。

 だから、主イエスは神殿から商売人達を追い出したのです。祭司長達や律法学者達は主イエスがした事を見て腹を立てました。自分達も商売人達もそんなに悪い事はしていないと思っていたからです。また、宮の中で子供達が「ダビデの子にホサナ」と叫んでいるのを見ても腹を立てました。子供達の主を讃美している声が騒音にしか聞こえなかったのです。私達は礼拝の中で響く讃美や御言葉を聞いて主のご臨在を感じ、主の栄光を仰ぎ見ているでしょうか。肉体の目や耳では見聞きできません。この世の思いを脱ぎ捨てて、主に愛され、主のものとされたことを心から感謝し、内に住んでいて下さっている御霊を感じ取りましょう。

 静かに主に心を向け、主を仰ぎ見ましょう。この教会が主のものであり、一人ひとりが主のものであり、主が共におられることを知り、主の御前に跪く思いで主に祈りを献げる者となりましょう。この会堂が神の家、祈りの家となります。

 イエスは、全ての人が神の子となるよう招かれていると知らせる為に、エサレムに子ロバに乗って来ました。私達も子ロバでよいのです。主の為に何ができるかで悩み、焦る必要はありません。ただ主をお乗せすればよいのです。主は「私の荷は軽い」と言いました。私達は主の愛の中に生かされています。その事を思い、主が人々が神との正しい関係の中に生きることを求めたように、私達も自分が主と正しい関係に生きられるよう、主をしっかり見つめつつ生きていましょう。