メッセージ(大谷孝志師)
今を安心して生きる
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年11月11日
ピリピ1:3-6 「今を安心して生きる」 牧師 大谷 孝志

 笑顔で挨拶されると嬉しいですが、嫌そうな顔をされるとこちらも暗い気持ちになります。パウロはこの手紙の中で「喜び」「喜んで」「喜ぶ」を13回(新共同訳では14回)使っています。それでこの手紙は「喜びの手紙」とも呼ばれています。しかし、彼はこの時、暗くじめじめした牢獄にいて、しかもいつ処刑されるかもしれない状況でした。彼は極限状況に置かれて精神に異常をきたしたのではなく、正に正気でした。彼は、主を信じていいたので、いつも喜んでいられたのです。

 私達はどんな時に喜んでいるでしょうか。崖から落ちそうになり、木に必死に掴まりながら、或いは落ちながら、感謝しますと明るく笑顔で言える人はいないでしょう。しかし主イエスを信じていると、そんな時でも喜べます。それは「先がある」「これは将来の為だ」と考えられるからです。死ぬかもしれない、どうにもならない状況がいつまで続くか分からないと思うと笑顔がなくなります。昔、火刑で殉教の死を遂げたポリカルプスは燃えさかる火の中で高らかに讃美したと伝えられています。火に焼き尽くされ、虚しく滅び行く自分でなく、永遠の御国に生き、栄光に輝く自分自身の姿を見ていたからです。先がないと思うと不安になり、怖くなりますが、先があると分かるなら安心できるのが人間だからです。

 しかし自分のミスで困難な状況に陥った時はどうでしょうか。人に迷惑を掛けたミスは消えません。もちろん、同じようなミスを犯さないよう気を付けなければいけません。しかしその上でですが、私は、遅刻せず、予定通り行っていたら、事故にあったかもしれない、人を傷付けたかもしれないと考えます。そしてこの事が、自分を深く見つめる機会となり、今まで気付かなかった自分の性格、人の配慮や気遣いに気付けたこともあります。反省し、自己嫌悪に落ち込むのではなく、反省を明日への力にするそんな生き方ができたのは、イエスが常に共にいて、一番必要な事、善い事をして下さっていると信じているからです。だから安心していられます。人は、今自分に起きている事、置かれている状況をどう見るかで、心の状態が大きく変わります。先がある、意味があると分かると安心できます。

 そうは言っても、人間は弱く先の事が分からないので、不安になり、恐れます。信じるというのと分かるというのは全く別だからです。でも、主イエスを信じていると、安心できます。一寸先は闇でなくなるからです。聖歌に「望みも消えゆくまでに、世の嵐に悩む時、数えてみよ主の恵み、汝が心は安きを得ん」という歌があります。主を信じていても、望みも見出せないほどに悩み苦しむ時があります。しかしその中でも恵みを数えることができます。これ迄主が自分を助けていてくださったことを知り、今も恵みを与えていると気付けるだけでなく、ここから必ず抜け出せると信じられます。長く曲がりくねったトンネルでも、出口は必ずあり、歩いていけば必ず出られます。パウロは、私達の間で良い働きを始められた方は、主の日が来る迄にそれを完成して下さると教えます。主は私達の為に十字架に掛かって死ぬ程に私達を大切に思っています。主を信じるなら、神は私の為に良い事をしていると信じられます。今は不十分に見えても、全ての事は完成に向かっているのです。神は私達に自分にしかできない事をさせる為に、私達の人生を始めさせ、様々な人と出会わせ、様々な体験をさせているのです。自分や家族の現状と将来を楽しみながら安心して見つめ、今を安心して生きられます。それが主が私達に与えている人生なのです。今を安心して生きましょう。