メッセージ(大谷孝志師)
信仰によって生きよう
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年11月18日
ヘブル11:1-36 「信仰によって生きよう」 牧師 大谷 孝志

 パウロはTコリ13:13で「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛と言い、三つの大切なものを挙げます。その中の一つ「信仰」について学びましょう。信仰は目に見えませんが、確かにあります。私達はこれらがあるから、生きられるのです。これらを持っているからこそ、私達は神様の恵みを豊かに受けて生きられます。見えなくても信じるなら、主は私達を幸いな者として、祝福して下さるからです。とは言え、見えないものを信じることが難しいのは事実です。この世は見える世界なので、物があれば安心できるし、人の心も表情からある程度は推察できます。でも見えれば安心かというとそうでもなく、目の見えない人は蛇の側を怖がらずに通るという諺があるように、見えないから安心できる面もあるからです。

 聖書は、世の終わりの日が必ず来ると教えます。終わりの日に、主を信じる者は霊の体に復活し、永遠の命を与えられているので、新しく到来する神の国で神と共に生きられます。主を信じない人は永遠の火に投げ込まれ、滅ぼされます。しかしそれも目に見えません。ですから主を信じない人々は、安心して生きています。逆に信じる私達の方が、本当に救われるかどうか不安になったりします。

 だからこそ、聖書は私達に「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです」と教えます。人は一寸先は闇と分かっていても、明日も生きていると思い、安心して眠ります。しかし、それは期待に過ぎません。でも、そう信じないと生きていけませんが、時に、期待は人を裏切ります。すると、他人に責任転嫁をしたり、挫折し、正に闇に陥ってしまいます。しかし、聖書が教える信仰はそのような期待とは違います。昔園長をしていた時、「待つことを大切にする保育」という題で講演したことがあります。「親や教師は子供の成長に期待し、能力を引き出そうとすることがあります。でも無理強いすれば、親子にとって不幸のもとになります。子供は、大きな可能性を秘めているので、時が来ればその子の能力は必ず現れます。必ず現れるとと信じて待てばよいのです。子供はその子に相応しい能力を備えているからです。しかし子供を信じる以上に大切なことがあります。求めるものを何でも与えるイエス様を信じることです。すると現状を主が与えたものと信じられ、見えないことから来る不安を乗り越えられます。見えるものにではなく、見えないものを与える見えない主に目を注いで下さい。そうすると子供の成長を安心して見守っていられます。」と話しました。

 信仰は、望んでいることを保証すると聖書は教えます。これが信仰の最も素晴らしい点です。今はない、見えないけれど必ず現実になると約束することが保証です。信仰は、世での具体的生き方に関わるものなのです。現実には無いものでも、将来、必ず私に与えられると確信させる力、これが聖書が教える信仰です。

 将来とは、未だ来ていないが、将に来たらんとしていることです。私達は未だ来ていないとだけ思うから、不安になります。イザヤ29章で主は「私自身、あなたがたの為に立てた計画をよく知っている。それは災いではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるものだ」とあります。私達は将来を安心して迎えられます。主は私達を愛し、全てを最善のものとして与えようと備えているからです。主を信じると相手も信じられます。私達の主は相手の主でもあり、主は相手にも働いて、万事を益とすると信じられるからです。全ての事は主のみ手の内にあります。主を信じ、信仰によって今を生きる者となりましょう。