メッセージ(大谷孝志師)

人を正す為に悪を許す神
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2018年11月25日
ヨブ12:1-25 「人を正す為に悪を許す神」  大谷孝志牧師

 人は時に、理由が分からない苦しみに遭います。ヨブは、何故自分がこんな目に遭うのか、どう考えても理由が分かりません。友人達にはヨブが苦しんでいる理由が分かっています。彼の罪の結果だからです。彼が悔い改めれば神の恵みと平和が与えられると彼らは言います。彼らは、ヨブに真理を告げ、忠告する資格が自分達にあると思い、語り掛けます。実は、これは信仰者として陥りやすい大きな過ちなのです。彼らは大事な事を忘れています。ヨブが神を畏れ敬い、神が無垢で正しい人と認めたことです。人は、こうだと思い込むと、それによって全てを判断してしまいがちなのです。相手の立場に立って、相手の気持ちを汲む事をしない訳ではありません。自分ではしていると思っても、心の片隅に追いやられているのです。

 ヨブは、友人達がまさにそうだと言います。彼らは、自分達も人に過ぎないこと、肉体がいつか死ぬように、彼らの知恵も限界がある虚しい知恵に過ぎないと気付いていません。私達も、まず自分の弱さを謙虚に受け入れられないと、彼らと同じような過ちを犯す危険が有ると心しましょう。

 ヨブは、自分が悲惨な状況に置かれていても、相手を冷静に分析し、自分を卑下していません。自分も相手も神の支配の中に共にいると知るからです。教会にも、信仰的に見える人見えない人、性格が合う人合わない人と様々な人がいます。大切なのは、その一人一人を、主が愛し、主の導きと守りを頂いて、主との霊的交わりの中にいる人との前提で見ることです。

 ヨブは、友達が善意で自分の信仰を正しくし、神の憐れみを受ける者にしようとしているの分かるが、それは自分を笑い者にしていることだと言います。彼らは、神が自分に災いを下した理由をヨブが判断できないでいると思っているからです。つまり彼らはかつて、ヨブが神に求め、神が答え、神に正しく誠実な者と認められていたことを全く考慮に入れていません。唯、彼を自分達の信仰的基準に合わせようとしているだけなのです。

 彼らは自分達は正しいと思っています。ヨブとは違い、自分達は平安を与えられていると考えているからです。それは傲慢なのです。神が彼らに平安を与えたから平安に生活できているに過ぎません。彼らの間違いは、彼が不幸で、悲惨な状態にいるのは、神が目的があってしているのに、彼が罪を犯しながら気付かずにいる愚か者と思い込み、嘲っていることです。

 彼は友人達に世の現実に目を向けさせます。略奪し、他人の生活を荒らす者が平安に暮らし、神を怒らせる者が不安を抱かずにいると言います。何故でしょうか。神が理由があってしているのです。その神の支配の中にいると意識して、自分を見てほしいと彼は友人達に訴えています。それによって彼への見方が大きく変わるからです。聖書は、どのような状況に置かれても、それは神が目的をもって私達にしていることだと教えています。

 彼らは何故分からなかったのでしょう。彼らも神は全てを支配していると信じています。しかしこの世界は人が知恵と力で動かし、人の思慮分別で正しい方向に導いているとしか思わない弱さを彼らは持っていたのです。人は自分の知恵と力、思慮分別に頼ってしまうからです。また、年長者になればなるほどそれらが豊かになると考えます。しかし年長者が常に正しい判断ができる訳ではありません。「老害」の場合もあります。また博識、経験豊かだから豊かな人生を送れる訳でもありません。天変地異、歴史的変動もあり、全ては御心によって行われているのです。ヨブは、この世の常識や人の知恵と力、思慮分別では理解できないそれらの多くの事を挙げています。そして、彼自身が直面している事が正にそれだと言うのです。友人達は彼が罪を犯したからこうなっていると考え、自分の知恵で彼を説得し、戒め、神に喜ばれる生き方に立ち帰らそうとします。しかしヨブは自分の罪の結果ではなく、ただ御心によってこうなっていると知らせ、彼に裁く事を止めさせようとします。彼らこそ無駄な事をしているからです。

 確かに、この世には人間的に見れば不条理な事が多くあります。善人や神に祝福されていると見られている人々が、突然の不幸になるのは、世でよく起きる事です。ヨブはそれらは偶然でも、その人が犯した罪の結果ではないと言います。つまり、彼に起きた事は、神が暗黒の深い底を露わにし、死の闇を光に引き出した結果なのです。神は今、ヨブを無力と混沌の中で藻掻かせています。その中で、彼に真理を目指させ、彼に秩序ある世界を築かせようとしているのです。これは御心なのです。それが、神は人を「闇の中を手探りで進めさせ、酔いどれのようによろけさせ」という御言葉に現れています。神は彼と友人達との対話によって、彼らも含め、全ての人の内にある闇、ヨブの内にもある闇を明らかにさせているのです。

 私達も突然、或いはじわじわと悪に苛まれる時があります。理不尽だと思ったり、いつまで続くのかと思うと嫌にもなります。しかし神は、今それを許しているからこうなっているのだと知りましょう。これが大切です。自分や他の信徒、教会の交わりの中に自分達も気付かない死の闇があるからです。神はそれを光に引き出し、私達を変えよう、造り直そうとしているのです。教会の中に、悪意で人を裁き、混乱させる人はいないでしょう。しかし諸教会の中にも様々なハラスメントや金銭に絡む事件がありました。人は、悪意はなくても、人を用いて人を傷付け、交わりを混乱させ、苦悩させ、人々を神から引き離そうとする悪魔の誘惑に負ける弱さ、心の闇が人にあるからです。ヨブは、「力と英知は神と共にあり、迷い出る者も、迷わす者も神のもの」と言います。神は、人の目に善いと思える事だけをせずに、悪を用いて人の心の暗闇を露わにし、その闇に気付かせようとします。神は私達を愛し、正しい道を歩ませ、平安を与えようとしていると信じ、困難な事態に負けず、正しい道を見出し、その道を歩む者になりましょう。