メッセージ(大谷孝志師)
豊かに受け、豊かに与える人に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年11月25日
ヨハネ15:12-17 「豊かに受け、豊かに与える人に」 牧師 大谷 孝志

 人は、与えるより貰う方が好きです。与えたら自分の物が減るし、貰ったら増えるからです。しかし有り余るほど持っていても、もっと欲しいと思ってしまうのが人間です。欲望には限りがないからです。それは悪い事だと昔から分かっていたので、欲のない正直な人が幸せになり、他人のものを欲しがったり、他人と同じようなものを欲しがる欲深い人が酷い目に遭う花咲爺さんやこぶとり爺さん、おむすびころりん等の昔話は沢山あります。しかし、人が自分のものを捨てて、相手に与える話は極端に少なくなります。自分を犠牲にして死ぬ話は更に少なくなります。この世では、死は滅びで、悲惨なもので、亡くなるだけの一方通行だからです。命あっての物種という考えが一般的です、人は世の事だけ、世の命のことだけを考てしまうので、自分のものや自分の事に執着してしまうからです。

 しかし、主イエスを信じる者はそうは考えません。自分の命を犠牲にして人類、特にアフリカの人達の為に尽くしたシュバイツァー博士がそうです。財産を全て投げ出し、自分の人生を捧げ尽くして貧しい人々、病気の人々の為に働いたマザー・テレサもそうです。彼らキリスト者はどうしてこの世的に言えば損と思われる事を、むしろ喜んでしたのでしょう。損して得取れと言う格言がありますが、自分にとって何かが得になるから、したのではありません。むしろ、最初は好奇の目で見られたり、そんな事までしなくてもと周囲の人に反対されたりしました。ただ自分を必要とする人がいるからという理由だけで、自分の欲とは関係なく、自分を与え尽くしたのです。何故そんな事ができたのでしょう。それは主イエスが自分の命を全ての人に与える為に十字架に掛かって死んで下さったからです。

 主イエスは「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と言いました。主は「わたしがあなたがたを愛したように」と言ったのは、主が弟子達を選び、御側に置き、ご自分の生き方を、そして十字架の死を通して弟子達に、人として正しい生き方の模範を示したことを指します。弟子達は、復活した主に出会っても最初は何人かでしたが、疑いました。しかし、40日間、神の国、神が支配している世界について教えられ、更に、聖霊が彼らに降ることによって、主が話した御言葉と十字架の死の意味を知らされると共に、主がどんなに自分達を愛したかを知ったのです。主の愛は、自分にとっての大切さの度合いによって区別を付けない愛、更に、自分と相手にすら重さの度合いを付けない愛でした。

 弟子達は、自分達に主が豊かな愛を注がれたことを知りました。主の深く豊かな愛が彼らに注がれたからこそ、世の人の救いの為に全力を注いだのです。シュバイツァー博士やマザー・テレサも、自分を必要とする人にその豊かな愛を注いだのです。私達も主から豊かな愛を頂いています。主を見上げましょう。そうすると、主の豊かな愛に覆われ、満たされている自分を知ることができます。

 主を見上げ、主の御言葉に耳を、心を傾けましょう。主の祝福を求めましょう。そして、笑顔を、喜びを与えて頂きましょう。そして喜んで人の為に生きる者となりましょう。「あなたがクリスチャンでよかった」と人に言われるような生き方ができたら最高です。主は、私達が接する人々が笑顔で生き、喜んで生活できるように、私達に憐れみと平和と愛を与えていて下さいます。それらを豊かに受けて、周囲の人に豊かに与える者になりましょう。私自身が、教会が成長する為に。