メッセージ(大谷孝志師)

主は最高の味方
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2018年12月2日
ローマ8:26-39 「主は最高の味方」  大谷孝志牧師

 今日からアドベント(待降節)です。クリスマス、主イエスの誕生を祝う準備の時に入りました。なぜ主の誕を祝うのでしょう。主イエスがこの世を神の国とする為に生まれたからです。神は主を信じる者を救い、神の子とする為に御子を世に遣わし、マリアとヨセフの子としてベツレヘムで誕生させました。人は自分の力で神の子になれないからです。主が「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広い、そこから入って行く者が多い」と言うように、人は楽な道、簡単な方法を選ぶからです。自分は、神に喜ばれる生き方をしたいと思っても、人の力では不可能だからです。ですから、御子イエス・キリストが世に来る必要があったのです。

 人は誰も、安心安全な生活を求め、私達は神に、世の人々は様々な神仏に求めています。主イエスを信じて救われている人は、父なる神に祈り、聖書を読み、御心を知ろうとします。神に喜ばれる者になりたいからです。神が私達に何を望むか、どう生きるべきかを知るならば、御心を行うことでき、それにより、神に喜ばれる者になれると思うからです。神が私達を愛し、子として扱っているのは分かります。でも、弱さを持つ私達です。自分と神との間には厚く高い壁があると感じることはないでしょうか。その壁は人の力では乗り越えられないし、破壊できません。神と人とでは全く本質が違うからです。でも、人からはできなくても、神の方からは手を伸ばすことができるのです。御霊が弱い私達を助けてくれます。御霊ご自身が、言葉にならない呻きを持って、執り成して下さるとパウロは言います。御霊が、神の御心に従って、私達の為に執り成してくれるからです。

 とは言え、御霊の私達への働き掛けを、人はなかなか理解できません。しかし、私達は自分達の思いを遙かに超えた出来事を度々経験をしている筈です。私達の弱さ醜さを神が覆い、こうなって欲しいと思う事が実現した事があります。今日の箇所に「予め」が繰り返されているのは何故でしょう。私達が経験する事の全ては、神が予め定められていたから起きたとパウロは教える為です。私達が祝う主イエスの誕生も予め定められていました。神は私達を救う為に御子イエスを世に遣わすことを予め定めていたのです。全てはエレミヤ29:11にあるように神の計画です。そこには「わたし自身、あなたがたの為に立てている計画をよく知っている-主のことば-それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」とあります。御子は私達の長子、父の富の全てを受け継ぐ方であり、私達はその方の権威の下に生きる者とされているとパウロは言います。私達が今、感謝と喜びをもって主を礼拝し、この世に生きていられるのは、神がそうなるように予め定めた通りに、私達を世から召し出し、義と認め、栄光を与えて神の子として生かしているからです。

 クリスマスは、神が私達をそのような神の子とする為に立てていた計画を実行に移した日です。そして、神が私達を深く愛し、神の家族にしようとしているとを明らかにした日です。その日を皆で感謝して迎えましょう。

 パウロがこの手紙が書いた時、キリスト者は困難な状況に置かれていました。自分達をキリストの愛から離そうとする凄まじい力が働いていたからです。彼は36節で、詩編44:22を引用し「あなたの為に、私達は休みなく殺され、屠られる羊と見なされています」と言います。キリスト者が悲惨な状況に置かれていても、それはキリストの為なのだと彼は言います。ですから私達も将来を見据え、今を生きられます。なぜなら「神を愛する人達、即ち、神のご計画に従って召された人達の為には、全てのことがともに働いて益となることを、私たちは知っているからです」と彼は言います。

 だからこそ私達は、例え迫害等で死に直面しても、自分達は神に召され、義と認められ、栄光を与えられていることを信じることができます。そのような神が私達の味方なのですから、それらを恐れずに信仰者として生きられます。しかし、世を支配する悪の力が圧倒的力を持つのは事実です。その力で襲い掛かってきます。私達はこの世で生きる為に必要なもの全てを奪われるかもしれないことをパウロは認めます。しかし、それは私達の信仰を覚醒させる時なのです。その時こそ、私達全ての為に、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神を思いなさいと彼は言います。神は全てのものを私達に恵んで下さる私達にとって最高の味方だからです。

 さて、私達が直面するのは、外側から襲うものばかりではありません。内面から悪魔が責め立てたり、教会の交わりの中で、自分の失敗や落ち度を責められる時もあります。時に迫害よりも深刻です。相手は自分の事が大事ですし、その目で、私達の外側しか見られないからです。しかし御霊が私達と相手の心の内の全てを知り、私達の為に執りしてくれます。安心して全てを主に委ねていればよいのです。悪魔は何とかして私達をキリストの愛から引き離そうとしますが、主はマタイ10:28で「体を殺しても魂を殺せない者達を恐れるな」と命じます。私達は、私達を愛している主により、悪魔の働きの全てにおいても圧倒的勝利者となれると心に刻みましょう。

 最後に彼は「私はこう確信しています」と言います。それまで読者に問い掛けたり、断定したりしてきましたが、ここで彼は、読者と共に神の御前に立ち、自分の信仰的確信を述べます。主は私達を救う為に世に来て、十字架に掛かって死に、復活し、神の右に座し、私達を神の愛で包み込んでいるのですから、何者も私達を主の愛から引き離すことはできないと言います。彼はその信仰的確信に立つからこそ、苦難をも喜び、忍耐でき、練られた品性の持ち主となり、失望に終わることのない希望を持って、主の為、神の福音の為に大胆に働き続けられたのです。私達の為の最大の味方であるこの主イエスの誕生を心から感謝し、クリスマスを迎えましょう。