メッセージ(大谷孝志師)

人となった神、イエス
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2018年12月9日
ヨハネ1:1-14 「人となった神、イエス」  大谷孝志牧師

 今日の箇所には「イエス」の名前は出てきません。しかし「ことば」と「この方」は主イエスを指しています。福音書は主イエスについて書かれている本です。何故それが福音書と呼ばれるのかと言えば、イエスの存在そのものが福音だからです。主は、約2000年前に三十歳半ばでヨハネからバプテスマを受け、その後約二年半ガリラヤを中心に神の国の福音を宣べ伝えました。エルサレム近くのゲッセマネの園で捕らえられ、ユダヤ人指導者達が裁判に掛け、死刑を宣告しました。そして、ローマのシリア総督ポンテオ・ピラトによって十字架に掛けて殺され、三日目に復活しました。その後40日間弟子達に現れ、神の国について教えた後、天に昇り、神の右に座し、主として世の終わりの時まで、全てを支配し、支え導いています。

 ヨハネは今日の箇所で、その主イエスがどんな方であるかをまず明らかにしています。主は、初めに神と共にいた方です。この世界の全てのものは人格を持つ言葉、後にイエスと呼ばれる方によって造られました。その言葉が人となって世に来て、この世で人として生きたのです。この世の常識では考えられない出来事です。ヨハネは、この方にいのちがあり、人の光だと教えます。そして主は、闇の中に生き、滅びに向かうしかない全ての人々を、光の中に生きる者とする「いのち」を与える方と教えています。「初めに」は天地が創造される前の時を示します。ですから、3-5節は、時代を超えた全被造物、人に関する教えで、今の私達への教えでもあります。

 言葉である神の主イエスが、人となって世に来て住んだからと言って、父なる神が言葉を失ったのではありません。主が浸礼者ヨハネからバプテスマを受けた時、そして山上で変貌した時、神が天から語り掛けています。記者ヨハネが教えているのは、世に生きた主イエスと父なる神と一つであり、世の人々と同じ人として、神の意志を人の言葉で人々に伝え、人々が必要だと求めてきたことを、父なる神の力で実行した方なのです。そのような主イエスを、ヨハネは「すべての人を照らすまことの光」と言います。

 主はなぜ「まことの光」なのでしょう。世の人々が闇の中に生きていたからです。真理を明らかにするまことの光が必要だったからです。主は、この世に生まれる前の旧約の時代から、闇の中に輝く光として輝いていました。しかし、人々はその光に気付けなかったのです。勿論、主は必要に応じて御使いを遣わし、み心を教え、み力をもって人々を助け、導きました。しかし人々は、自分達の力でなかなか光に来ることができませんでした。ですから主の方から世に来て、全ての人をそのまことの光で照らしたのです。新約の時代の今も、人々は以前として闇の中に生きていますが、飾られた十字架により、教会堂により、そこに集うキリスト者達により、主の光が「まことの光」を反射した世の光として人々を照らしています。

 全ての人を照らすまことの光として世に来た主イエスの誕生を祝うクリスマスが近付いています。でも、世に来たということは、その前は何処にいたのでしょう。主はもとから世にいたのです。ことばである神だからです。この方がイエスという人となって世に来たから「全ての人を照らすまことの光として世に来た」と言ったのです。すべてのものは、この方によって造られたということは、全ての人は主イエスによって造られたのです。しかし多くの人は主を知らず、主を受け入れていません。「光は闇の中に輝いている」とありますが、これは、光があれば闇が駆逐されるのではないことを表しています。光が闇の中に輝いていても、世の人は闇の中にいるので、光の存在が分からないのです。しかし「闇はこれに打ち勝たなかった」とあります。人が闇の中にいても、光は闇の中に輝けるのです。神は人に働き掛け、御心を知らせ、神の民となるようまことの光で照らし続けているからです。ですから、そのまことの光に気付く人は、主の光に照らされた世界に生きられます。主はご自分が造ったご自分の民である世の人々を、ご自分の光の世界に招いているからです。しかし現実には、人々はその福音を知らずに闇の中を蠢くように生き続けています。私達の周囲にも、教会に誘っても来ようとしない多くの家族や知人がたくさんいます。クリスマスに私達のその思いを、主に実現させて頂きましょう。クリスマスは一年中で世の人々がキリスト教を一番身近に感じる特別な機会だからです。主ご自身がその人々が教会に来ることを望んでいます。ですから、必ず助けて下さいます。ぜひ、その主に全てを委ねて、お誘いしましょう。

 聖書の「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝てなかった」との御言葉が実現しているからです。この御言葉は私達に確かな希望を与えます。私達は様々な祈りの課題を持っています。祈祷会に出席しているとそのことがよく分かります。一人ひとりが自分が知っている事、気付かされた事、こうなって欲しい、こうして欲しいという事を、言葉に出して祈ります。これが大切です。私達は何故祈るのでしょう。正直言って、何十年牧師をしていても先の事は全く分かりません。<一寸先は闇>です。主を信じる前の私は闇に恐怖を感じていました。闇は人を不安にします。恐怖さえ与えます。しかし、考えてみて下さい。マッチや蝋燭一本の光が、闇を消し去るではありませんか。光のある所に闇はないのです。主イエスが生まれた日、闇の中にいた羊飼いに天使が来て、主の栄光が彼らの周りと照らし、主の誕生は民全体に与えられる大きな喜びと伝えました。この出来事は、闇の中にいる人々が光の世界に生きる者になれるように、主が世の光として輝いる方であることことを全ての人に教えています。ですから今、人が心の目を開き、主を見上げれば、自分が主の光に照らされていると知ることができます。これが福音です。全ての人に与えられる大きな喜びです。この福音を、クリスマスの喜びを一人でも多くの人に伝えましょう。