メッセージ(大谷孝志師)
大切なものは何ですか
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2018年12月9日
マルコ10:17-31 「大切なものは何ですか」 牧師 大谷 孝志

人にとって大切なものは命でしょう。イエス様も「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の益があるでしょうか」と言っています。<生きていればこそだよ>は絶望した人への励ましの言葉になります。誰も死にたくないと思いますが、人は必ず死にます。昔から不老不死は人類の夢です。昔、<壮年のままいつまでも生き続けることは善いことか>がテーマの映画がありました。主人公は<愛する者の死を何度も見るのは辛い>と言っていました。生きていればよいというものでもありません。でも、キリスト教は主イエスを信じる者は、永遠の命を与えられると教えます。「永遠の命」は単なる不老不死とは違います。これは神様に祝され、喜ばれることに伴って与えられる結果です。神様が永遠であるように、人が神の子となり、永遠の存在になることを意味します。ですから、永遠は永続とは違うのです。この世の物事から自由になり、神の国で神様と共に生きるこれが永遠なのです。神の国は何処にあるのでしょう。「二人か三人が私の名によって集まっている所には、私もその中にいるのです(マタイ18:20)」とあるように、そこが神の国です。私が今の世に生き、肉体の死後も生き続けられる、肉体の死が終わりではない人生、それが永遠の命を与えられた私達の人生です。

 さて、神様に祝されるには、律法を守ることがユダヤ人の常識でした。今日の箇所の男性は律法をきちんと守っていました。しかし律法をきちんと守っていても、必ず神の国は入れる自信がなかったのです。かけ算では式の一箇所に0が入れば、どんなに大きな数を掛け合わせていても答えは0です。しかし足し算なら、積み重ねることができ、0が入っても答えに影響を与えません。−があっても+でカバーできます。彼は自分に何か欠けた所があれば、それが掛け算の中の0になり、自分は永遠の命を受け継げないと思ってしまったのです。彼は自分の人生に確証が持てなかったのです。主は彼が自分の力で永遠の命を受け継ぐ資格を確かなものにしたいと思っている所に不安の原因が有ると見抜いたのです。ですから、持ってる者を全て売り払い、貧しい人達に与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。その上で、私に従って来なさい」と言います。彼は悲しみながら主の許を立ち去ります。主は「富を持つ者が神の国に入るのは、何と難しいことか」と言い、それを聞いた弟子達は「それでは誰が救われることができるか」と互いに言い合います。主は彼らに「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです」と言います。

 主はここで人は自分の力で幸せになろうとするが、人は神様の力、御心によって幸せになれるのだと教えているのです。人が<財産があれば幸せになれると思い、神様に喜ばれる善い行いをしようとするのは間違いだ>と教えています。善い行いはそれが善いから行うのであって、何かを期待して行うのは邪念なのです。

 本当に幸せになりたいのなら、財産に頼らず、主に頼よれば善いのです。大切なのは、財産でも、幸せを生み出すと考えて行う善行でもなく、神様への信頼です。それが分からずにこの男性は主の許を去りました。しかしもっと悲しんでいるのは主イエス様なのです。幸せになりたいと願いながらも、世の物事に惹かれて主の許に来ようとせず、本当の幸せを感じられない多くの人々が世にはいます。私達はその人のことを悲しんでいるでしょうか。必要なことは唯一つなのです。主に信頼することです。そうすれば幸せを実感しながら、この世で生きられます。