メッセージ(大谷孝志師)

十字架の主の誕生
向島キリスト教会 主日礼拝説教 2018年12月16日
ヨハネ15:12-17 「十字架の主の誕生」  大谷孝志牧師

主イエスは12、13で「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人が自分の友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません」と言っています。主はこの戒めを私達に与える為に、そして、このような私達になる為に世に誕生したのです。「わたしがあなたがたを愛した」と言いますが、主はどのように弟子達を愛したのでしょうか。主は10:10,11で「わたしが来たのは、羊たちが命を得るため、それも豊かに得るためです。わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます」と言っています。主は私達が命を豊かに得る為に世に来たのです。命と言っても、肉体の命と言うよりも、人生を生きる力と言った方が良いと思います。私達が自分の人生を生き生きしたものにし、喜んで生きられるようにする為に、主イエス様は生まれたのです。クリスマスはその主の誕生を祝う日です。

 さてご存知のように、野宿しながら羊の群れの番をしていた羊飼い達に主の使いが現れ、民全体に与えられる大きな喜びを告げ知らせました。救い主の誕生は大きな喜びだからです。何故喜びなのでしょうか。救い主が十字架の死によって全ての人々を救い、豊かな命を与える方だからです。クリスマスカラーというのがあるのをご存知でしょうか。赤、緑、白、金色がそう呼ばれます。赤色は十字架の血を表し、緑色は主の血によって与えられる永遠の命を表します。白色はその血によって清められ無垢な者とされることを、金色は主によって与えられる豊かな人生を表しています。このように、クリスマスは主の十字架の死と深い繋がりがあります。

 イエスは全ての人を救う為に、十字架に掛かって死ぬ為に世に来ました。主が初めて両親に抱かれてエルサレムに来た時、シメオンが両親を祝福し、その後でマリヤに御心を伝えました。「あなた自身の心さえも、剣が刺し貫く」と。私達もクリスマスを感謝し、喜び祝うだけでなく、主が私の罪の為に十字架に掛かって死ぬ為に生まれたことを心を剣で刺し貫かれる思いで受け止めることが大切と教えられます。クリスマスは喜びの日です。ですが、その喜びを与える為に主が死んだことを覚える日でもあるからです。

 さて、主は「友の為に命を捨てること、これよりも大きな愛はない」と言っています。「私達の神、主を愛すること、自分の隣人を自分自身のように愛すること(マルコ12:30-31)」よりも重要な命令は他にないからです。友を自分のように愛するなら、友の為に命をも捨てられるから、主はこう命じたのです。彼らが互いに愛し合うなら、主の友となれると言いますが、その前に、主は彼らを既に友と呼んでいます。主が先に彼らを友として受け入れているのです。その上で、弟子達に主の友に相応しく生きよと命じています。主の恵みが、先に私達に注がれていることを感謝しましょう。

 もう一つ大事な事は、主が弟子達を僕とは呼ばず、友と呼んだことです。私達も、主から友と呼ばれています。私達が友と呼ばれるのは、私達が教会の一員となり、主に繋がっているからです。そして主が弟子達に父から聞いた事を全て彼らに知らせたように、私達も聖書を通し、御霊によって神の御心についての知らせを主から受け取っているからなのです。何故彼らは知らされたのでしょう。それは、彼らを福音説教の働きに遣わす為です。私もこの御言葉が心に響いた時、伝道者になる決心が与えられました。主の使いが羊飼い達の所に現れた時、主の栄光が彼らの周りを照らしました。同じように、夜の祈祷会の部屋で電気は点いていたのですが、それ以上に明るい光が部屋一杯に満ちました。彼らも私も、主の光の中にいました。それは素晴らしい事です。でもそこに留まっていてはいけないのです。

 私達が教会の一員となり、主に繋がっているのには、理由と目的があるからです。私達を含め全ての人は、霊的に言うなら神の被造物であり、神に愛され、神の民の一員です。しかし、目に見えない事実なので、生まれながらの人はその事実を知らず、闇の中に生きています。だから主は、全ての人を照らす真の光として世に来ました。私達はその光に照らされています。光は闇の中に輝いているのに、何故私達だけが光に照らされていると知ったのでしょうか。それは、主が私達を選んだからです。主の御心なのです。私達は自分の意志で、教会に来たと思っていても、主が私達を選び、人を遣わし、私達に教会に来る機会を与えたのです。その目的は、主の働き人に任命する為です。主が選んでいる世の人々に遣わす為、その人々に教会に連なる機会を与える働き人にする為です。全ては主の計画の実行と信じましょう。主が共にいます。その主が助けるので、私達が主の為に働きに行くなら、実を結び、その実が残ります。それだけではありません。この働きをする為には様々なものが必要です。私達が、主の名によって父に求めるなら、全ては父なる神から与えられます。主が約束してます。

 主は私達を闇の中から光の中に移す為に世に来て、自分を捨て、自分の十字架を負って歩み、死ぬことによって私達を救って下さいました。主は、何故私達が「互いに愛し合うこと」を命じたのでしょう。それはこの働きは、個々人の働きによってなされますが、その個人だけがするのではありません。教会に繋がっている人々の群れによる協働作業でもあるからです。群れを構成する私達が祈り合い、支え合うことが必要だから、互いに愛し合うよう主は命じました。わたしがあなたがたを愛したように」と言ったのは、協働作業をするには、私達の間にある壁を取り除く必要があるからです。主が私達を愛したように、互いに愛し合うならそれを取り除けます。私達が心を一つにして、この福音を人々に伝えることを望んでいます。その為に、主は十字架に掛かって死んで、復活したからです。主は全ての人の為の救い主です。主の誕生を祝うクリスマスを次週、皆で祝いましょう。